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見えないけれど、たしかな力

初任で受け持ち、卒業年度でも受け持たせてもらった子たちが
中3になった。
去年は多忙で行けなかった体育祭。
今年は絶対に行きたいと思い足を運んだ。
幸いにもコロナが落ち着き、観覧自由となっていた。


覚えてもらえていないような気がしていた。
覚えていてほしくないという気もあった。

当時の自分はまだペーペー。
絶大なる人気を誇る、持ち上がりの隣のクラスのベテラン先生がよかったと子どもたちも思っていたに違いない。態度から見て取れた。けれど、当時の子どもたちは決して口には出さず、わたしと再度距離を縮めてくれた。ゆっくり、だけれど確実に。

縮めてくれたけれど、それでもうまくいかないこともあった。
厳しくすることで、クラスをまとめることしかできない自分と、
うまく力をゆるめながらまとめていくベテラン。
楽しい毎日だった。それは子どもたちのおかげ。
力量のない自分。常に、子どもたちに申し訳なさを感じていた。
子どもたちは何も言わなかったのに。
ひとり、もがき苦しんだ1年だった。

卒業式の日、子どもたちへの最後の話の中で謝罪をした。
「隣のクラスの先生みたいに、うまくできなくてごめんね。」と。
言っているうちに涙がこぼれた。
「それでも、あなたたちのことが大好きだったよ。」とも伝えた。
ふと見ると、ひとりの男の子が、それを聞いて号泣していた。
それを見た子どもたちも、また泣いていた。
忘れられない光景。大切にしたい光景。


思い入れの深い子たちだった。
だからこそ、遠くの地へ足を運び見に行った。
輝いていた。
もうすっかり大人びて、遠くからだと誰が誰かわからなかった。
声を掛ける資格があるのか。迷いに迷った。
けれど、もう一生会えないかもしれない。
1年後には進路もバラバラで、きっともう会えない。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。

退場してくる子たちに、こっそり手を振った。
ひとりの子が気付く。「あ!!!先生やん!!!!!!」
続けて、たくさんの子が嬉しそうに、笑顔で手を振ったり、
歓声をあげてくれた。
「なんでいるんですか!?」と聞かれたので、
「みんなの最後のかっこいい姿を見に来たんだよー!」と返すと、
「えー!うれしい!!」と答えてくれた。
こちらの方が、心の底からうれしかった。

隣にいた旦那を見て、「彼氏ですか?」とにこにこと声を掛けてきた男子がいた。
「結婚したの!旦那さんだよ。」と返した。
すぐさま返ってきた言葉が、「えー!!おめでとうございます!!」だった。
うれしかった。すぐにそうやってあたたかい言葉を返せる人に育っていることが。
この子達が、そんな環境で過ごし、学べていることが。
あの頃のまま、いやあの頃以上に、まっすぐとしなやかに彼らは生きていた。

笑顔で何度も手を振ってきた子。
わざわざ遠くから走って声を掛けてくれた子。
出番の前だったのに、声を掛けてくれた子。
遠くからにこにこ見てくれた子。

みんな、それぞれの形で、それぞれの思いを一瞬でも届けてくれていた。
それぞれが、あたたかいまなざしで、凛としていた。
ああ、あの1年があってよかったと思った。


退職したい。その思いをずっと抱えて過ごしてきた。
この2か月余りはさらにその思いが強かった。
何のためにこの職に就いたんだろう。私に何ができるんだろう。

けれど、今日のあの子たちの姿から、自分にとってのこの職の価値を見出せた気がする。

当時何もできなかったわたしなんかに、今でも笑顔で手を振ってくれるのは、彼らがあたたかいからだ。
もちろん、家庭の力が大きいことはわかっている。
けれど、家族以外の一番身近な大人は教師である。
そのために必要なことを、持てる力すべてをもって教えたい。
人は、環境と関わる人によって育っていく。
わたしは、彼らのように、つよく、たくましく、しなやかに、あたたかく人と関われる人を育てたい。


苦しい日々は、まだまだ続く。
けれど、あの子たちにもらったパワーを、教えてもらった学びを、腐らせたくない。
生きる。わたしも必死に、がむしゃらに、生きる。
彼らに負けないくらい、輝き続けたい。

こう思わせてくれる彼らに出会えたことを、本当に誇りに思う。
ずっとずっと、彼らに幸せが降り注ぎますように。

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