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ドイツで解雇された話
過激なタイトルですね…解雇についてここで書こうかどうしようか悩んだのですが、経験的に貴重でそれこそもしかしたら誰かの参考になるかもとも思うし、書いて整理をしたいと思い、綴ることにします。
前に勤めていた会社から、1月8日付で解雇通知を受け取り・1月23日が最終勤務日でした。組織内でReorganisationがあり、私の直属上司日本人駐在員が予定より早く帰国することになったのですが、私自身は彼の専属アシスタントとして雇われた為、ポスト自体が消失することが決まったと言うこと。
真っ先に頭に浮かんだのは「え、これからこの地で外国人女性1人でどうやって生きていくの?」でした。滞在兼労働許可だって一年はこの仕事と紐づいている、ってことは私日本に強制帰国?え、貯金額いくらだっけ、日本に帰れる?いや、賃貸は最低一年契約で2025年1月1日に開始したばかりだけど?引っ越しで敷金払いとか含めて4000ユーロくらい無くなったばかりで、今から稼ぎ直そうと思っていた矢先に?というか、いつからこんな解雇話が上がってたの…?上司帰国に伴い提示された、私の新しい業務内容はなんだったの?じゃあなんで年内にあんなに新体制についてのマネジメント会議をやってたの?皆んな全部知ってて黙ってたの?え、12月20日引っ越した時に既に決まってた…?え、茶番…?誰も信用できないんだけど、どう言うこと?ーーーーー正直に綴ると、これが通知を受けとった後の思考でした。
そこから三週間経った現在、正直に申し上げると痩せ我慢などではなく「解雇されて良かった」と感じています。あまり詳細は書きませんが、この解雇を受け・私の去り際の会社の対応を見ていて、「こんな大事にしてもらえないところでは働けなかっただろう/ここに残っていても利用されるだけ利用されずっと孤独感が残っただろう」と感じたからです。でも諸状況的に私の方から「辞めます」と言うことは難しい局面に居たので、寧ろ先方から切ってもらって・選択の余地が無くなる位で丁度良かったんだと思います。
現状は絶賛就活中ですが、本当に有難いことに四社から面接招待をいただけていて、一社は結果待ち・他も面接準備中だったりです。とりあえず一番の山場は越した気がするので、今日は自分の心と向き合いたくて・今までのことを整理したくてnoteを書くことにしました。長くなるかもしれませんが…
Q. ドイツでは簡単にクビにできない/ならないと言うのに、何故こんなことになったの?
① 私がまだ試用期間中だったため、このショートな解雇が許されてしまいました。逆にドイツでは試用期間を終えた後は、労働組合Betriebsratが労働者の権利を強く守ってくれるため、どんなに問題のある従業員であっても逆に解雇が難しい位。そして実際に解雇に踏み切る前には、会社側も「勧告」を出すなどの処置が必須だったと理解しています。しかし試用期間中は、こういうステップを踏まずに一方的な契約終了を申し付けることが可能になります。これは、会社側からのみならず、雇われている従業員側からも同様です。なので、会社のカラーが合わない等感じた従業員も、「もう来ません」と行って即時辞めることが可能。これが試用期間なのです。ただ試用期間中であったとしても、最長二週間の猶予を持つことは義務付いています。なので私は1月8日に通知を受け取りましたが、1月23日が最終勤務日になったわけです(なんですが実は通知を受け取った時には書面には「1月15日付で退社せよ」と書かれており、「二週間猶予が適用されていない、これはおかしい」とすぐ抗議し会社のHRに日付を訂正させました。ここら辺の杜撰さが、私があの会社ではこれ以上働けなかったと感じた点でもあります。後何よりずるいと感じたのは、1月8日は私の試用期間最終日でした。「今日を逃したら」ということで、滑り込解雇されたと理解した時には本当に憤りました…)。試用期間中に結果が出せなくて本採用に繋がらないと言うのはドイツではよくある話なので、私自身ももっと言動に気をつけるべきだった、と感じました。後の祭りですが。ただここの過去記事でも綴っていた通り、あまりに会社の状況がカオスでしたし、私自身も2ヶ月半会社内に住むと言う異様な経験のおかげでうまくストレス発散も出来ず、感情的になる場面が多くなってしまった。でも当時はああしか出来なかったし、その位にストレスフルだった・その中で自分は本当に頑張っていたと思う。からそこはもう自分を責めないように、今後に活かそうと思っています。
② 自分のVorgesetzt/Führungskraftが自分の決定を全て下す。ここも私が見落としていた点でした。「ドイツは日本に比べてヒエラルキーが少なくて同僚皆んなフラットなんでしょう?」というイメージはあると思いますが、それでもやはり自分の所属部署にマネージャーがいて、基本的にその人が部下を操れる・部下はその人の掌にあるというのは事実。私は自分のマネージャーと反りが合わなかったのですが、そもそも彼自身がこの駐在で良い結果を出せなかったために予定より早く本帰国するよう12月中旬に日本親会社社長から命令が降っていました。それを受けて、私ももう完全に新体制になるという頭でいたし、いつから/誰が私の代わりのVorgesetztになるんだろうとばかり考えていて、チームメンバーやドイツ人の社長ともそういう話していました。が、そうであっても結局、彼が帰国するまで・正式に組織替えが起きるまでは私の決定権は全て彼が持っており、その為彼が「彼女はもう要りません」と言いさえすればいつでも私は解雇される。それを見落としていました。私は彼のことが上司としてというよりもはや、人間としてあまりに道徳や秩序が無く受け入れられず、ほぼ会話はありませんでした。仕事も、言い方は悪いですが自分が何もしないで済む/楽出来るように、何も教えること無く全てをやらせようとする姿勢に疑問が湧き、11月に一度本人にそのことを伝えた時に「そういう態度でいるようなら、仕事を辞めてもらう」と言われたことがありました。今思えばあれが警告だったのかもしれませんが…そもそもその態度と発言に「え?」と思い、もう2人の日本人駐在員に相談したところ、やはり彼の仕事ぶりはあまりに疑問点が多いと+ドイツ人社長にも相談しましたが同様の回答でした。それでもう、「この人とコンタクトをとるのはやめよう」と思い基本的にコミュニケーションはとっていませんでした。そんな中12月、彼に日本から予定より3年も早い本帰国命令が降ったので、私が目の敵になり&上記の通り私の上司は彼=彼が私の采配を握っているので解雇された、と想像しています(生憎、本当の真実は誰も教えてくれないのですが…)。ただ私もここの過去記事でも書いている通り、感情がすぐ顔に出てしまいますし、周りが私を庇いきれないくらいに反抗的な様子になっていたのかもしれません。彼の狡猾なところとして、職場で彼は絶対に感情を出さないので、外部から見れば感情を出している私の方が悪・敵になってしまったのだと理解しています。他のチームメンバーやGmbHの社長が庇いきれないくらいに思われてしまっていたのかもしれません。真実はわかりませんが。
Q. 滞在許可はどうなるの?
これが兎にも角にも心配でした。ドイツで外国人が就労する場合、基本的に最初の1年間は勤務先と滞在許可が紐づくのです。なのでこの解雇を受けて、私の滞在許可はすぐ剥奪され・最終勤務日と同時に強制帰国?と言うのが一番怖かった。通知を受け取った日、直ぐに外国人局にメールを書いたところ翌日には返事があり、EUブルーカードの保持者は3ヶ月は職探しのための猶予がもらえることがわかりました。これはEUブルーカード以外の滞在労働許可でもそうなのかはちょっと分からないのですが、3ヶ月以内に新しい雇用先を見つけて契約書とErklärung zum Beschäftigungsverhältnisを外国人局に送付→外国人局の方で雇用関係と会社審査→雇用先について特記がされているZusatzblatt(滞在許可の付録用紙、みたいなものです)が新しい雇用先に書き換えられ、保持しているEUブルーカードはそのまま有効である、という説明を受けました。引っ越しに伴う滞在許可の住所書き換えのために昨日、引越し先の管轄である別の外国人局に顔を出しているのですが、そこでも担当者から同様の説明を受け・その内容が明記されてる書面を受け取ったので一安心です。
Q. どうやって職探しをするの?
これですよ、これ。はぁ。私は現在の仕事を見つけるためにドイツで就職をした経験はあるものの、当時は日系企業のみに絞り/また当時は行き先もハンブルクに限定してなくて、ベルリンやフランクフルト等他都市も考慮していた。現在は、まずもう引っ越しをしてしまっており、こっからすぐ土地を移すのも現実的ではないのでハンブルク近郊で探すしかない。となった時、ハンブルクの恐ろしい点は日系企業が他の地と比べてダンチに少ない。実にミュンヘンの5分の1以下。それに加え、日本人従業員がわざわざ欲しいような場合、求められているポジションは基本専門職です。海外営業、エンジニアなど技術系…私の場合は専門は音楽と言語しかなく、語学以外は強みにならない。詰んだ。
と思っていたのですが…とにかく色んな方に相談して話を聞いて、Linked Inに登録、ハローワークやネットワーキングイベントにも行ったりしたところ、色々と解決の糸口が見えてきて。その一つとして、日系にこだわることはやめました。ドイツでは昨今、日本人駐在員が激減していると言われています。会社も派遣人数を減らしているし、そもそもヨーロッパから撤退した企業だって多い。そんな中で、「日本」をアドバンテージにしてしまうと、何かしらの組織縮小があった時今回同様に一番最初に切られるのはローカルの日本人だろう、という意見もちらほらいただきました。それでもう恐怖心を捨て、ローカル企業・外国企業(本社や創業がドイツ以外)にも応募してみたところチラホラと面接の招待が届きました。ドイツの職探しについては、また別記事でも書こうと思います。
Q. 経済面ではどうするの?
これも頭を悩ませています。貯金はあるので4月末までの生活は実際のところ問題ないものの、通知を受け取った直後はそれこそ強制帰国になったとて日本への航空券買えないんじゃ…?とか色々考えてしまって、本当に本当に情けなくなりました。試用期間が終わっていれば、失業保険が発生するので多少のArbeitslosengeldは貰えるはずですし、退職金だって発生するかもしれないですが、私の場合は試用期間中解雇なので上記は対応外。一応ドイツは3年目なので、皆さんから「前職の保険は?」と訊ねられるのですが、生憎前職では失業保険が無かったのでそれも無効。1月8日の通知を受け取ったその日、あまりに苦しくてドイツ人夫婦の友人に連絡をしたら、2人がすぐに家に駆けつけてくれました。一緒に色々考えてくれて、「Arbeitslosengeldがダメなら、Bürgergeldはどうなのかな?」と提案してくれました。その後あるネットワークで知り合った日本人女性の方も「私もBürgergeld受け取っていた時期があります」と教えてくれましたし、Job Center(ハローワークです)で相談した時も受給資格があると言われました。ドイツでは公的保険加入は必須で雇用関係にある場合は会社が半額を払ってくれるのですが、無職になった場合は月数百ユーロを全額自己負担しないとなりません。収入がない状態で、家賃・生活費・保険を全部貯金から賄うのは苦しすぎる…なんというか、ケチになって心がギスギスするのが嫌なのです。Job Centerで聞いたことには「月560ユーロ」が家賃などを除いた最低の生活費だと定められているのだとか。確かに平均一日18ユーロで生きるイメージで考えると、納得の額面。ただ、別の知り合いから聞いたのはBürgergeldのような社会保障費を利用した歴が残ると、将来的に無期限滞在許可に切り替える時に悪印象/不利になるという話。うーん…新しい仕事が何月から開始できるか、も加味し、申請自体はどうするか今まだ悩んでいます。
Q. ピンチな局面でも大事なことは?
今回考えもよらなかったまさかまさかの出来事が自分に降りかかってみて、本当に周囲の人の助けを感じました。真っ先に家に駆けつけて一緒に泣いてくれた友人夫婦、すぐに相談に乗ってくれたサッカーチームの方達、recommendationを手配して空きポストを紹介してくれた先輩、直ぐ電話して人を紹介してくれたタンデムパートナーとその奥さん、会ったこともなかったのに直ぐ時間を作って相談に乗ってくれた人達、寄り添ってくれた元同僚、Job Centerの職員さん、ご飯食べさせて・持たせてくれた優しい家族、いつでも自分の味方でいてくれるカウンセラーの先生、話を聞いて一緒に飲んでくれる友人達…正直に言えば、こういう関係を再認識できただけでも解雇されてよかったのかも、と思えたくらいでした。本当に感謝です。正直、ハンブルクに来てから、周囲の登場人物の方たちは本当に良い人たちしかいません(元上司等を除いて笑)。そして何より、元上司は本当に本当に本当に哀れだと感じています。自分の部下が自分より結果を残し・自分に懐かないこと・私の採用が自分の本帰国のきっかけになったこと等等にプライドが許さなかったんでしょう。それが理由でここまで非人道的な決断を下せることには驚きしかないし、それを黙認・許可したドイツ人の社長や、同チームの日本人駐在員の2人、親会社の社長のことはもう不信感でしかありません…会社の仕事の為だけに単身で知らない土地に来て・自活し/社用車の支給も契約後に反故になったせいで会社の近くの田舎に家を借りたというのに…でもその位、私は会社から大事にされていないことを、試用期間の3ヶ月間で日々感じていました。それでも退職時のドイツ人同僚のリアクション等から、3ヶ月間自分はきちんと結果を出したことを再認識しましたし、3ヶ月とは言えGmbHで日本人としてドイツ語に囲まれて働ける経験を持てたのは良かったです。お陰でドイツでもビジネスパーソンとしてやれる程度のドイツ語が話せてる、とだいぶ自信がつきました。同時に、英語もそこまで持っていければ、という目標も見つかりましたし。それにドイツ語が話せることで、路頭に迷わずに済んだと再認識しています。Job Centerでも外国人局でも、語学面での苦労は正直なかったです(ドイツクオリティの苦労はありますが笑)。後、1月8日から今日までとにかく気をつけているのは「健康」!!!これで引き篭ったら終わりだ、と言い聞かせ、可能なら1日8〜10kmは歩くようにして・毎日最低一回は自炊するよう心掛けています。身体が病むと、精神が病みます。なるべく予定を入れて出かける・人に会う。なるべくアウトプットする。
A. 今私は元気です。
今現在、30代無職女性がドイツで感じてることは「とにかく周りの人に感謝/ドイツ語が話せてよかった/健康が大事」。世の中全て変化していて、今までには無かったことが起きていて・いろんなことが今までとは違うように変わっていく。「解雇」という言葉だけ聞くとびっくりだけど、こうなって良かったんだと思います。必ず先に道が繋がる。