10年後、「若くてきれい」を失う私へ
※個人のメモです。
誰かを傷つけたいという思いは一切ありません。
書き連ねることばには注意を払っていますが、読んだ方に嫌な思いをさせてしまったら申し訳ありません。
22歳。
10年後は32歳。
高校生をみて自分にもあんな時代があったな…とぼんやり思い、大学の同期たちとネタのように、大学1年生って若いね、私たちにもあんな時代あったね、と話すようになったこのごろ。
加えて数年前までは、ニキビができても何もしなくても治ったのに、市販の薬を塗ったり鎮静作用があるクリームや、ひどければ皮膚科を受診するようになるなど何かしら手を打たないと治らなくなってきた。
無理な食生活と睡眠不足がもろに肌に出るようになってきて、
ああ、何もしなくてきれいって言われるところのもう折り返し地点あたりを歩いているのかな…と感じてしまう。
美しさとは難しい。
定義が人によって異なる。
年齢を重ねても美しいと呼ばれる人はいるし、もちろん逆も然りである。
また個人の中でも、年齢やどんな経験をしてきたのかによってその時々で定義は変化する。
ただ、これまでの圧倒的な「若さ」という恩恵を受け、特別なケアをしなくてもきれいと言われた時代から、どんどん「若さによる美しさ」がなくなっていくことへの恐怖は、じわじわと感じている。
余裕だった時代は終わる。
あくまで生物として子孫を残すという観点から見れば、有利と言われる側から不利な側になっていく。
10代~20代前半のような若さは生花のように、いつかは枯れ果てる。
若くてきれいと言われなくなった時、私の美しさは何で作っていったらいいんだろう…と、とても感じるのだ。
一方で60・70代になっても20代の肌のようにシワやシミが一つない、ぱんっと張った肌は求めていない。
生物として、ある一点が全く衰えていないって怖いと思うから。
シワやシミがあっても美しい人は美しい
肌のキメが20代よりも荒くなっていって、頬の肉が削げ落ちてきてもきれいと言われる人は世の中ごまんといる。
言語化するのがとても難しいのだけど、
その人からにじみ出る何か雰囲気とでもいうのか、その人のそれまでの経験値によるなんとも言えない魅力、品格とでもいうのだろうか
それを身に着けるには、どうしたらいいのだろう
言い換えれば、この先の10年をどう生きたらいいのだろう
こんなことを考えるとわくわくするのと同時に、人生設計を真面目に考えなければいけない分かれ道に立っているのでは…?と思う。
例えばどんな仕事に就くのか、仕事ではどんなポジションを得たいと思っているのか、生涯の伴侶を求めるのか、子どもを授かりたいと考えているのか、親や大事な人達との最後の瞬間をどう迎えたいと考えているのか
私としてはその延長線上に、「人間的魅力に溢れ、年齢を重ねても美しいと言われる人になりたい」があるような気がしている。
今の私の状況を例えるなら、出発は日本(成田でも羽田でもお好みで。もちろん、途中で選び直して再出発もできる)だけど、飛び立つ先はどこと決まっていない飛行機のようなもの。
進路変更は自由自在で、パイロットである私の判断次第でなんにでもなれる。選択肢が多いのは嬉しい反面、その多さと正解のなさに戸惑いもある。
誰も大事なことは教えてくれないし、自分で選んだ答えを正解にしていくしかなくなる。
個人的にある程度のマニュアル(あっても全部に従うわけではないが)が欲しいな、なんぞと思ってしまうくらいには将来設計をしていくのに不確定要素が多すぎて、鎖でつなぎとめている心配性が大暴走してしまう。
これからも、自分の中にいる不安と恐怖という怪獣を飼いならしながら、選択し生きていくのかなと思う。最後は自分で決めないといけないからね。
最後に侮蔑的な意味ではなく、心から思う。
「子どものように何かに夢中になって、いつも目が輝いているおばさん・おばあさんになりたい」