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私たちの「あの頃。」〜baseよしもと黄金期について〜

どうも。あやねです。
みなさんは「baseよしもと黄金期」という言葉を耳にしたことはありますか?

お笑いの歴史やメディアでの登場頻度はほぼ無いので知らない方は多いと思います。

私はこのbaseよしもと黄金期が大好きでTwitterアカウントもやっています


「baseよしもと黄金期」とは?

当時の劇場入口の写真

「baseよしもと」とは大阪にあった吉本興業の若手お笑い劇場の名前です。

それでは「黄金期」とは?
この言葉自体の由来はモーニング娘。にあります。

彼女たちが爆発的な人気を得ていた1999年〜2003年までの間をその後ファンの間ではザ☆ピースのジャケット写真から「黄金期」と呼ぶようになりました。

この頃の芸人たちもモーニング娘。のファンは多く、baseよしもとは1999年に創設、2003年にメンバーが卒業して「モー娘。黄金期」と時期が全く同じことから、この時期のことを2000年代後半ごろからインターネットにおいて「baseよしもと黄金期」と呼ばれるようになりました。

FUJIWARAや陣内智則、チュートリアル、フットボールアワー、ブラックマヨネーズなどの芸人がまだ関西の若手として当時在籍していたことから、その人気は凄まじく2002年と2003年には3万人規模のライブをするほどでした。

当時は吉本興業がお笑いフェスLIVE STANDを2007年に行うまで客の数が多いほど演芸のネタは不向きという風潮があったため、ネタイベントではなく音楽イベントがメインになっています。
ここでもモーニング娘。の曲をたくさんカバーしていることから、当時のモー娘。とbaseよしもとは縁が深いわけです。

さて前置きが長くなりましたが、その当時の思い出を振り返ってみたいと思います。

俺たちなりの「あの頃。」

俺たちなりの「あの頃。」

当時、小学生の私は大阪ではなく新潟に住んでいました。
しかも不登校で引きこもり

小学校低学年までは男女区別なく遊んでいたのが、小学校中学年になると女子グループができ上がり、休み時間になると
「ねえ、一緒にトイレ行こうよ」という誘いが来るようになります。

私は当時思いました。
「え??????なんで??????」
別に私はトイレしたくないし、なぜトイレというプライベート極まりない不浄な空間に私を誘ってくるのかマジでわからなかったのです。

あまりにも女子たちが一緒にトイレに行くので
「もしかして私以外の女子は膀胱が共鳴しているのかもしれない…」
と思ったほどです。

なぜか分からないのでやんわり断っているうちに女子のグループからはぶられてしまい
「ねぇねぇ、あやねちゃん。○○ちゃんがあやねちゃんのこと嫌いだって言ってたよ」という伝書鳩女子からオブラートに包んだ罵詈雑言を受けるようになります。

その結果、お腹が痛くなりまして小学生にして「十二指腸潰瘍」
中間管理職のサラリーマンがストレスでなるような病気になってしまいます。ちなみに受診した病院の最年少記録だそうです。

そこからズルズルと学校に行かなくなり、十二指腸潰瘍が治っても伝書鳩女子が嫌だから学校に行きたくないし、学校に行ってほしい家族とも気まずい関係なので自室に篭る日々が始まります。

「すみません、今日も学校いけないみたいなんです」
と親が学校に電話を入れるまで布団で息を潜め、その電話が終わったと共に自室でテレビを見始め、ワイドショー、再放送のドラマ、笑っていいとも、再放送のドラマを垂れ流す自堕落な日々。
しかも扉の前にラップをかけた食事が置かれるという、絵に描いたようなひきこもりでした。

一冊の雑誌

そんな時、ある雑誌が部屋から出てきました。

引きこもる前に学校で「ねぇねぇ、あやねちゃんってジャニーズだと誰が好き??」と聞かれたときに
内心誰のファンでも無かったんですが誰かを好きでないといけないという雰囲気を察し、「KinKi Kids」と発言し、それから自分がキンキファンだと思い込んで生きていたときに親に買ってもらった雑誌でした。

時間は膨大にあるのでキンキ以外のページもじっくり読んでみると、アイドルや俳優でもないっぽい人たちが載っていました。それがbaseよしもとのメンバーだったわけです。

「ばせ???よしもと???」
まだローマ字しか読めん私でした。

吉本興業という存在自体は知っていましたが吉本興業=吉本新喜劇やダウンタウンのイメージでしかない私はこんな人たちもいるのかと強く刷り込まれました。

そして雑誌には『MBS「マジっすか」やNHK「爆笑オンエアバトル」で大活躍!!』との文字が。新潟在住で22時には寝ている小学生の私にとっては見たことも聞いたこともない番組名です。

そのときはこんな人もいるんだ程度にしか思っていなかったんですが運命というのは急速に巡りだすものです。

急速に巡り出した運命

さて、引きこもりの私は昼に惰眠を貪っているため、そのうち夜に目が冴えてきます。
そんなとき自室のテレビをザッピングしているときに出てきたのが「爆笑オンエアバトル」です。

「あ、あの雑誌に載っていた番組じゃん」と手を止めて番組を見始めるわけです。

すごく不思議な感覚でした。

当時はお笑いブーム前でテレビもロケバラエティが主体でネタ番組はほとんどありませんでした。

しかし、幼稚園や小学校低学年の頃にボキャブラブームがあったので「お笑い」という感覚はあってネプチューンとか好きだったのですが、
その頃はコント主体で漫才であってもセンターマイクがなく
立ち話という感じで、東京の芸人さんがほとんどだったので、

関西弁の2人がセンターマイクに向かって喋る姿がとても新鮮で不思議だったわけです。

正直、関西弁だし、話の内容が子供には分からないところもあるけど、
これなんか楽しいぞ
と思ったのです。


「もっとこの感じのやつが見たい」と思っているときに我が家で契約しているケーブルテレビの番組表をみると「マジっすか」の文字が。

「あの雑誌に載っていた番組じゃん!!!」と興奮しました。

そしてなんと幸運なことに、ケーブルテレビを契約していたテレビがリビングにしかないため、自室からの脱出に成功するのです。

実際に番組を見ると、明るい雰囲気、パワフルでリズムの良い関西弁、そしてまだ全国区ではない彼らの若いパワーに圧倒され、魅了されました。
そこから「ばせよしもと」ではなく「ベースよしもと」と読むのを知り、インターネットで彼らの情報を集めまくりました。

公式サイトはもちろん、ファンサイトや2ちゃんねるで情報を集めまくる日々。
ファンサイトではやたらと☆と↑を語尾につけたり、
ファンのことを「fan」、芸人さんを「芸人san」などと表記してやりとりしていたのを覚えています。

そこからファンの友達と知り合い、baseよしもとを通してたくさんの思い出ができました

当時の思い出

あとは当時、イベントで女装して披露することも多かったのでモー娘。の最新曲の動向や振り付けもファン同士で共有していました。

「この曲イベントで歌うかな?やるとしたら誰がゴマキ役やるのかな?」なんてキャッキャッしたりしてました。

また、番組で芸人に彼女の存在が暴露されると
「まぁ、◯◯sanが幸せならそれでいいよ♪
ぅちは顔ファンじゃないし↑↑◯◯sanの笑いが大好きだし〜☆★」
強がったりしてました。

今考えると感情の起伏が激しい私たちでしたね。


当時のbaseよしもとのファンって「ちょけ散らかす(ふざける)」ことが正義だったので、みんな明るくてボケることが大好きな人たちだったと思っています。

私より年上のお姉さんがほとんどだったのですが、私みたいな新潟の田舎者の小学生でも全然受け入れてくれました。

これで一生物の友情とかできたら映画化、小説化待ったなしなんですが
推し変すると別のライブに行って会わなくなったりするので、その辺の友情は結構脆かったのが非常に残念です。

仲良くしていたランディーズのファンの友達がいたのですが

ある日突然松竹芸能の「いち・もく・さん」のファンになってしまい、もう2度と劇場で会えなくなるという悲劇も起こったりしました。

いち・もく・さん(芸風とかも全然違うのに一体何があったのか)

引きこもりからの脱出

「ちょけ散らかす」お姉さんとの交流やbaseよしもとの明るい雰囲気や関西弁のリズムの良さの楽しさから私も少しずつ明るさを取り戻していました。

今考えると学校という閉鎖的な空間で居場所がなくなっていた私がbaseよしもとを通して「世界は思ったより全然広い」と知ったんだと思います。

毎週baseよしもとの番組をケーブルテレビで見ていた私にとって、ある日衝撃的な事件が起きます。

ある芸人のボケに対して「中2か!!!」というツッコミが入ったのです。

私はまだ小学生、このまま学校に行かないままだと、この「中2か!!」のツッコミの意味も分からず、世間一般の中学2年生の定義も知らずに生きていくことになるのです。

芸人さんのワードの真意も分からないままお笑いを見るのは非常に失礼。

そう思った私は数ヶ月ぶりにランドセルを背負い、学校に行き始めるのです。
「中2か!!!」というツッコミの意味を100%味わえるように。

そして終焉へ

その後、学校に通い出し無事に小学校を卒業します。

そしてなんと中学生になる2003年4月から東京に住むことになったのです!
東京であれば大阪からbaseメンバーも来ることも多いので、生でbaseメンバーを拝むことができます。

そして小学生と中学生は活動範囲やお小遣いが全然違います。
これからもっとアクティブにbaseファンできるぜ!イェーイ!!と思っていたのですが…

東京に引っ越してきた1ヶ月後の2003年5月

当時のbaseよしもとメンバーの一斉卒業が発表されます。

人生つらすぎん?

このときのショックから、私は未だににTwitterで「baseよしもと黄金期 懐古垢」なんてやってる老害極まりない地縛霊になってしまったのです。

これからの野望

上記のツイートの動画でも語っているのですが、年月が経ちすぎたのか吉本興業もこの時代に関して曖昧になってきているので、
きちんとbase黄金期の存在を皆さんに知ってもらいたいです。
(吉本関係者の方々、当時の資料や情報に関して困ったことがあったらTwitterのDM解放していますので、私まで連絡ください。)

やっぱり直接メンバーに当時の感謝や愛を伝えたいですね♡
(特にbaseのリーダーであったフジモンとか)

本当に愛が強すぎて当時のファンの格好を再現するほどなので♡

どんな愛情表現やねん????

あと来年の2023年はbaseメンバーの一斉卒業(の悲劇)から20周年。
なにかイベントや番組があるといいなと思っております。
本当、当時の資料関係ならお力になれるので吉本興業関係者からのご連絡お待ちしております。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

baseよしもとの芸人が楽しそうに昭和の話をしたことが時代に興味を持ちまして今は時代再現をテーマに動画や写真の制作活動をしております。こちら是非フォローしていただければ嬉しいです

https://www.instagram.com/timetravelgirls/

この時代再現の方でメディアに出てbase黄金期メンバーに会えたら嬉しいな(めっちゃ下心)

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