平成ギャルになって初代プリクラ機でプリクラを撮った話
どうも。あやねです。
私たちは過去の文化や流行を基に再構築してデザインしたり、過去の人になりきるタイムトラベルガールという活動をしています。
今回はタイムトラベルガール初期に行ったプリクラ撮影のことを思い出していこうと思います。もう3年ぐらい経過してるんですね、感慨深い。
ちか「90年代のコギャルの格好で初代プリクラで撮ったら面白いんじゃないですか?」
ちかさんと喫茶店で話している時のこの一言を聞いて
私「めっちゃ面白いじゃ〜〜〜〜〜ん!!!!」
ということで、企画することにしました。
しかし、ある問題にぶち当たります。
初代プリクラは一体、どこにあるのか?
軽々しく、やろうよと言ったはいいが、今も動いている90年代のプリクラなんてあるのか??見たことないぞ。
とりあえずネットを探してみます。
あるにはあるそうなのですが岐阜や北海道など当時住んでいた東京から行きづらいところばかり。
これには遠征費だけで結構な額になってしまいます。
もう少し検索してみようとTwitterで「プリクラ 古い」などのキーワードでひたすらに検索。
そうすると1枚の写真と共に
「大学の近くにめっちゃ古いプリクラ機があったwww」とのツイートが
私は金田一少年の事件簿のテーマを聞くとIQが2上がるので、それを聞きながら私は考えました。テテテテテンテテテテン♪
大学の近くということはその子が通っている大学のエリアさえ分かれば、このプリクラ機がある場所が分かるのでは無いかと、失礼ながらその方のツイートを少し探ってみることに
すると「この大学周辺は(某アニメ)の聖地だから」という一文が
たまたまそのアニメのことを深く知っていた私は「関東地方のあの場所!!!!!」だと場所を特定しました。あの場所なら2時間半ぐらいかかるけど電車でなんとか行くことが出来ます。
果たしてこの街のどこの施設にプリクラがあるのか、俺がこの謎を解いてやる、そう!
じっちゃんの名にかけて!!!!!!
(そういえば、このじっちゃんって母方?父方?どっちなんでしょうね?)
そこから、そのエリアのプリクラ機が設置してそうな施設に片っ端から電話しました。
そうすると
「はい、うちに古いプリクラ機ありますよ」との回答が!!!
謎は!!全て!!解けた!!(カメラ目線)
「そこでプリクラ撮りに行ってもいいですか」と交渉をして許諾は得たのですが、
担当者の方曰く「古い機種のため突然壊れてしまう可能性もある、修理業者がいる、この日に来た方がいい」とご丁寧に教えていただきました。
(このnoteでプリクラがある場所を明かせない理由がそこにあります。あまりにたくさんの人が行ってしまうと故障してしまって、施設側に迷惑をかけてしまう可能性があるので)
ということで朝5時起床で出発。
細かい出来事は上記の投稿にまとめてあるのですが(動画は90年代風ドキュメントバラエティ風に仕上げてます。木村匡也さんのナレーションがあいそうな感じに編集しました)
まあ、端的に言うと撮影しようとした瞬間、プリクラぶっ壊れました。
今回の我々の事情を知っている修理業者の方が一生懸命直してくれたんですが、謎のコギャル姿の3人に見られながら、ひたすら修理するのは非常にプレッシャーだったと思います。本当に修理いただきありがとうございます🙇♂️
なんとかプリクラを撮ることが出来たので近くのカラオケ店
プリクラだけでは飽き足らず、当時の女子高生を再現しようと机の上を1997年のもので埋め尽くしました。
個人的に上記投稿の1枚目が一番好きな写真でポスカ落書き、シール、ハイビスカス、フェロモンという死語がうまく出来たと思っています。
しかし、この撮影の翌日に印刷してポスカでデコレーションしたんですけど、ポスカってめっちゃ匂い強いのね。2019年でこんだけ臭かったら当時のコギャルの部屋どんだけ臭いねん。
本当はブラウン管のテレビに投影したかったんですが、当時のカラオケの待機画面も自作して持っていきました。半角カナがCHO→イケてるでしょ??
この撮影旅行の締めとしてegg風の画像を作りました。
ちなみに私は中高生時代はド陰キャなのに、egg読者という謎属性で生きておりまして、egg大好きでした。
なんでeggが好きだったというと私の時代はファッションページに
「このコーデ可愛すぎておぇおぇおぇおぇ〜〜〜☆★」
という一文がありまして、
これどういうことかと言いますと、
可愛すぎて嘔吐する状態を指しているんですね。
可愛いと嘔吐するって新感覚すぎません?
この言葉の独自性が大好きで毎月買っていました。
あと私はド陰キャの癖にプリクラ狂いでプリクラばっかり撮っていて、クラスのヒエラルギートップの女子たちが私におすすめのプリクラを聞きにくるという謎ポジションを確立していました。
しかもプリクラを撮るためだけに、ネットで知り合った女子学生とプリクラに行くだけの一夜限りの仲、いわゆるプリフレという不健全な関係になるほどプリクラにはまり込んでいました。
個人的にはトンネルをくぐったり、当時のサッカー日本代表のトルシエ監督のスタンプや当時ゲーセンの景品界隈で一世を風靡した生茶パンダのスタンプがある「熱烈美々」というプリクラが訳わからなくて好きでした。
そんなプリクラ大好きな私は人のプリ帳を見るのも大好き。
読モのプリ帳特集があったり、そんな私のプリ欲をeggは満たしてくれるから大好きでした。(当時のプリクラは女子高生たちの行き場のない創作意欲やクリエイティビティーをぶつけるには非常に相性が良く、
人のプリクラを見て「こういうアプローチもあるのか」と落書きの参考にするのが好きでした)
そんな大好きなeggだからこそ、編集には熱が入りましたね!!
編集していてマジで楽しかった。
特に最後にオチがないので、どうして私がプリクラを卒業したかの話をしようと思います。
プリフレを作るほどプリクラにのめり込んだ私ですが、
あまりにオリジナリティのあるプリクラを追い求めた結果、
「もはやプリクラに映らない」
という謎結論になり、
プリクラのカメラに映らないように床に突っ伏すという行動に出ます。
誰も写っていない空白のプリクラを印刷されたのを見て
「何をしているんだ!私は!!!!!!!!!!」
と我に返ってプリクラを卒業しました。おしまい。