無職11日目、春は必ず来る。
足の小指を骨折したことがある。
壁に激突したのだ。
まるで漫画のような話だとは思うが、まるきり実話なのだから笑えない。
あれは数年前、勤務先である福岡から、地元鹿児島に帰ることになり、引っ越しの準備をしていた時のことだった。
複雑な感情を抱えながら、段ボールに荷物を詰める私は焦っていた。
とにかく時間がなかったのだ。
考え事をしていたのか、急いでいたからなのか、気づいたときには段ボールを抱えながら、壁に激突していた。
瞬間、得も言われぬ激痛が足の指にダイレクトアタック。
床へ倒れこんだ。
数十分は動けなかっただろう。一生にも思えるその瞬間、私は走馬灯を見た。
「走馬灯を見る」。
とりあえず、私がその後3倍くらいに腫れあがった足で、命からがら市役所へ転出届を出しに行き、近くにあった整形外科へ駆け込み骨折を告げられ、それまでの疲れもあいまって病院の診察室で号泣した話は置いておいて。
「走馬灯」について、不思議に思ったことはないだろうか。
何かがフラッシュバックすることを、「走馬灯のように記憶が駆け巡る」と表現するが、当たり前のように使っているこの「走馬灯」って、いったい何なんだ。
走馬灯、走馬燈(そうまとう)とは内外二重の枠を持ち、影絵が回転しながら写るように細工された灯籠(灯篭)の一種。回り灯籠とも。中国発祥で日本では江戸中期に夏の夜の娯楽として登場した。俳諧では夏の季語。
Wikipedia 「走馬灯」より
(大学生がレポート提出時に一番やりがちで教授に怒られがちなWikipediaからの引用失礼します)
要は、走馬灯というのは灯篭のことらしい。
その灯篭が目まぐるしく絵を映す様子から、慣用句として使用されるようになったというのが、「走馬灯を見る」の語源だという。
さて。
最近、人生について考える。
世も世だ。日頃、生きるということを否が応でも意識してしまう。
自分にとっての走馬灯はなんだろうかと問われたら、私は間違いなく東日本大震災後に開催した復興支援コンサートのことだと答えるだろう。
あの時も。
東京の一大学生だった「私」も、生きることについて考える日々だった。
日本は暗い闇夜のようだった。
震災後、大学はすぐに休校となった。
当時私が団長を務めていたオーケストラ部ももちろん休部。
八王子市に新しくできたコンサートホール「オリンパスホール」のこけらおとし公演出演に向けて、主催者と共に学生代表として開催の準備をしていたが、企画自体がストップとなった。
もうこけらおとしの舞台に立つことはできないだろうとすら思っていた。
電気が使えるかすらわからない状況だった。
こんなときだ。自粛すべきではなかろうか。葛藤の日々であった。
4月になったころ。主催者から電話があった。
「『こけらおとし公演』ではなく『東日本大震災復興支援コンサート』をしましょう」
主催者の声は、決意に満ちていた。
開催を決断するまでに、どれほどの苦悩と葛藤があったことだろう。
その確固たる「思い」に、涙が出た。
大学の休校が解けたのは、5月に入ってからだった。
本番は6月。練習できるのは1か月もなかった。
参加できない団員もいたため、OB・OGへの参加も打診した。
ありがたいことに、ほとんどの方が趣旨に賛同してくださり、稀に見る大楽団が出来上がった。
その後、どうやって1か月を過ごしたか、記憶にない。
とにかく練習に必死だった。
なんとか迎えた公演当日。
我々は参加団体のラスト、トリとして出演することになった。
曲目はエルガーの「威風堂々」。
日本が、どうか元気になり、心こそが大切な世界であり続けますように。
ただその一心でバイオリンを構えた。
それまでは気持ちがぐちゃぐちゃだった。練習も不十分だった。不安だった。葛藤があった。
けれど、舞台に立った時に迷いはなかった。
薄暗い照明。
団員の息遣い。
一音たりとも逃さず届けと演奏する気迫。
指揮者の汗。
音が一つになる高揚感。
思いが一つになる幸福感。
あの瞬間は、今でも忘れられない。
目をつぶれば思い出せる、まさに「走馬灯」で見るはずの風景がそこにあった。
お客さんは満員だった。
割れんばかりの拍手と大喝采、というものを生まれて初めて全身で受けた。
今年3月、 一般社団法人日本音楽事業者協会、一般社団法人日本音楽制作者連盟、一般社団法人コンサートプロモーターズ協会が、コロナウイルスで苦境にあえぐエンターテイメント業界の状況を踏まえ、「春は必ず来る」というメッセージを添えて共同声明を発表した。
東日本大震災の時も、世は冬のようだった。
人の心が暗く閉ざされていく様子が怖くて仕方なかった。
今は冬のように見えるかもしれない。
けれど、越えない冬などない。断じてない。
あの日の、走馬灯に出てくるであろうあの風景は、今の私を支えている一生涯の黄金の財産である。
越えない冬など、絶対にない。
芸術を愛する一人として、そして一人の人間として、春は必ず来るのだと確信して、今日も一日を過ごしていく。
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