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CR戦略:「警察官は良い印象を人に与えなければならない」

 原野翹氏(『治安と人権』岩波書店、一九八四年)によると、一九七〇年代、日本警察は、アメリカ警察のコミュニティ・リレーションズ(CR)を移植し て、「国民と警察との間に暖かい血を通わせ、国民の関心を警察の関心とし、また警察の関心に国民の協力が得られるような緊密な関係を樹立する」ことを目指 したという。

 原野氏がいうコミュニティ・リレーションズとは、パブリック・リレーションズ(PR)に重点を置いた警察活動のことで、一連の施策はCR戦略 と呼ばれた。

 アメリカの暴動に関する大統領諮問委員会の委員であったR.M.モンボイスによれば、CR戦略とは「警察と、警察が奉仕する社会とのギャップを埋めるための努力である」(R.M.モンボイス 渡部正郎 訳『市民と警察』立花書房、一九六九年)。

 そして「警察のコミユニティ・リレーションズとは、文字通り、警察とコミュニティのメンバー及び全体としてのコミュニティとの関係のことである。これにはヒューマン・リレーションズ、人種関係、公衆関係、報道関係が含まれる」という。

 そして「警察の第一の任務は、法と秩序を維持することで」、「一般市民が、法の執行において、市民としての役割を果たしてくれるかどうかは、一般市民が その市民の役割をどれだけ認識しているか―換言すれば、警察に対し、どういう感じをもっているかにかかっている。」という。

 つまり、警察のイメージが重要となるというのである。そのため、「警察の第一の仕事は、警察のイメージがどういうものかを認識することである。」という。

 モンボイスは、「個個の警察官の役割」について論じて、「警察の正しいイメージを打ちたてる上において、それどころか、われわれの生活そのものを正しく 打ち立てる上においてもっとも重要なのは、警察官自身である」として、「個個の警察官は、警察そのものがそれに姿を写す鏡である。賢明な警察官は、公衆の 目にできるだけ好ましく写るように努力する。」と述べている。

 しかしモンボイスによれば、「警察官の仕事は人を批判することにある。警察官の公の生活は、疑問から成り立っている―それから否定的な答えを引き出そう とする疑問から成り立っている。警察官は不正を探し求めなければならない。そうしなければ、有能な警察官とは言えない。このため、警察官は余ほど注意して いないと、いつの間にか、ここに何か不正はないかという哲学で、自分の人生を成り立たせてしまいがちなのは事実である。」という。

 これに加えて「警察官は 一日のうちに何度もノーと言わなければならない。われわれは誰でもノーと言うことに快感を覚えるようになるものだ。こうして警察官にとって独善的に見える ことを避けることが非常に困難になる。」という。

 このような警察官が「好ましい印象を身につける」ためには、①「外見」、②「動作」、③「態度」、④「知識」が大切であるとモンボイスはいう。

①「外 見」については、「制服の警察官」が、「身なりを整え、清潔な制服を身につけ、問題のない挙措動作をしていれば、人人は、警察官を、警察を、制服とバッヂ とが表わす象徴を、信頼するようになる」。

②「動作」については、「動作は、個個の警察官の信念、プロフェッショナルリ ズム、訓練、を表す。」「ぶらぶらしているという印象は与えない」「物により掛かるな。街頭ではつばをはくな。煙草を吸うな。」という。それは、「良くな い動作は、それが無ければ与えられたかも知れない好ましい印象をぶちこわしにしてしまう」からである。

③「態度」については、「警察官は、思いやり、何か あったら助けたいという気持、を顔に現わしていなければならない」。それは、「威圧するようなやり方に 特有な態度を示す警察官は、好ましい警察の印象を著しく傷つける」からである。

④「知識」については、「すべての警察官が自分の仕事の責任と使命を熟知し ていなければならない。」という。それは、「自分の仕事についての基礎的な、専門的な技術を身につけていない警察官は、公衆に対する好ましい印象を作り上 げることはできない。」からである。

 さらにモンボイスは、「多くの人は、最初に接した一人の警察官の行為と態度を基として警察官全体の印象を作り上げ、いつまでもそれを忘れずにいるもの だ」と指摘している。

 そのため、「警察官は良い印象を人に与えなければならない―警察官は、意識的に良い印象を与えるように努力しなければならない」とい う。

 モンボイスが提唱するCR戦略では、個々の警察官のイメージが極めて重要となるのだ。

 警察の良いイメージをつくるためにモンボイスは、警察官は「微笑」せよという。「友好的であるということを持続させ確かなものにするために微笑せよ」と いう。「微笑は、凝固まった考えに打ち勝ち、偏見にも、老婆の長話にも、打ち勝つ」、「とにかくあいつはいいやつだと警察官を人に思わせる」ことが必要だというのである。

 このようなCR戦略は「警察のイメージ」作りにすぎないとの非難を受けかねない。

 そのことを意識していたためかモンボイスは「形式的なパブリック・リ レーションズのプログラムによって得られる警察のイメージは、それが、警察の現実の価値を反映するものでなければ、表面的な価値しかない。

 評判と本当の性 格との間には違いがある」と述べている。

 だが、市民には「警察のイメージ」を知ることはできても、「警察の現実」を知ることは極めて困難である。そして、 CR戦略によって警察と社会のギャップが埋められてしまえば、一般市民が「警察のイメージ」と「警察の現実」とのギャップに気付くことはないのだ。

 このように、CR戦略では、個人として、または集団としての個々の警察官の行動、態度、私行によって良くも悪くもなることから、警察官には、警察のイ メージを高めるための行動が要求されることになる。

 結果として、警察官は警察のイメージに合わせて行動しなければならないということになり、警察のイメー ジを操作すれば、警察官の行動をコントロールすることができるようになる。

 そして、この作られた警察のイメージを信じて市民は行動することになるのである。

 このようなCR戦略は、第二次世界大戦後アメリカから移植された民主的なイメージを持っている。

 だが、警察のイメージを社会のイメージへと展開すると考えれば、警察官を模傚中心として国民皆警察化を目指した松井茂の社会教化事業の手法を、イメージという概念で上手にまとめて表現しただけのように見える。

 そして松井茂がナチスの政策を絶賛していたことを考え合わせると、警察の「道徳性教育教化機関」としての機能は、普遍性をもった近代文明の特徴に見えてくる。

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