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「巡査臭ぷんぷん」!! 「秋の空高く巡査に叱られた」!! 山頭火は、警察官に職質されたことを俳句にしていた!! 山頭火にも文芸の哲学的基礎があった??
2016年4月23日の『毎日新聞』のニュースサイトに「バスツアー 山頭火句碑巡り あす /大分」という記事があった。
漂泊の俳人・種田山頭火(1882〜1940年)の句碑を巡るバスツアーが宇佐市などで24日にある。「大分山頭火の会」の主催で、参加者を募集している。
のだそうだ。
この記事に、「宇佐・四日市商店街には『秋の空高く巡査に叱られた』の句碑がある。」 と書いてある。
調べてみると、この句は志布志市で詠まれたものらしい。
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志布志市にある「秋の空高く巡査に叱られた」の句碑の隣にある志布志市作成の立て札に書いてあるこの句碑の解説には、
十一日午前中、山頭火は街で若い巡査に 『托鉢なら托鉢らしく正々堂々とやりたまえ』と注意されたことを理由に、感傷的な気分となり、この日行乞を止めている。この事が原因だったのか、山頭火は鹿児島県内では志布志のみの滞在で、帰路に着いている。
と書いてあった。
「感傷的な気分となり」というのが、どのような気分だったのか、
ちょっと気になったので、
種田山頭火の『行乞記(一)』を読んでみた。
「行乞」(ギョウコツ)というのは、『デジタル大辞泉』によると「十二頭陀(ずだ)の一。僧侶が乞食(こつじき)をして歩くこと。托鉢(たくはつ)」という意味らしい。
山頭火の『行乞記(一)』には、
九月十七日[#「九月十七日」に二重傍線] 曇、少雨、京町宮崎県、福田屋(三〇・上)
今にも降り出しさうな空模様である、宿が落着いてゐるので滞在しようかとも思ふたが、金の余裕もないし、また、ゆつくりすることはよくないので、八時の汽車で吉松まで行く(六年前に加久藤越したことがあるが、こんどは脚気で、とてもそんな元気はない)、二時間ばかり行乞、二里歩いて京町、また二時間ばかり行乞、街はづれの此宿に泊る、豆腐屋で、おかみさんがとてもいゝ姑さんだ。―中略―宮崎県では旅人の届出書に、旅行の目的を書かせる、なくもがなと思ふが、私は「行脚」と書いた、いつぞや、それについて巡査に質問されたことがあつたが。
十月十一日[#「十月十一日」に二重傍線] 晴、曇、志布志町行乞、宿は同前。
九時から十一時まで行乞、こんなに早う止めるつもりではなかつたけれど、巡査にやかましくいはれたので、裏町へ出て、駅で新聞を読んで戻つて来たのである(だいたい鹿児島県は行乞、押売、すべての見[#「見」に「マヽ」の注記]師の行動について法文通りの取締をするさうだ)。―中略―行乞してゐる私に向つて、若い巡査曰く、托鉢なら托鉢のやうに正々堂々とやりたまへ、私は思ふ、これでずゐぶん正々堂々と行乞してゐるのだが。
十一月十九日[#「十一月十九日」に二重傍線] 晴、行程三里、門司、源三郎居、よすぎる。
嫌々行乞して椎田まで、もう我慢出来ないし、門司までの汽車賃だけはあるので大里まで飛ぶ、そこから広石町を尋ね歩いて、源三郎居の御厄介になる、だいぶ探したが、酒屋のおかみさんも、魚屋のおやぢさんも、また若い巡査も(彼は若いだけ巡査臭ぷん/\であつたが)私と源三郎さんのやうな中流以上の知識階級乃至サラリーマンとを結びつけえなかつたのはあたりまへだらう。
などと書いてあった。
「宮崎県では旅人の届出書に、旅行の目的を書かせる、なくもがなと思ふが、私は「行脚」と書いた、いつぞや、それについて巡査に質問されたことがあつた」
「だいたい鹿児島県は行乞、押売、すべての見[#「見」に「マヽ」の注記]師の行動について法文通りの取締をする」
「巡査臭ぷん/\」
など、犬党のヒトには警察の取り締まりに対する愚痴にしか聞こえないだろうが・・・
これは「移動の自由」に対する痛烈な批判である。
「巡査臭ぷん/\」というのは、不審者と見定めた人間に手あたり次第職務質問するおまわりさん(警察官)の様子を述べているように思われる。
「巡査臭ぷんぷん」
素晴らしい表現だ。
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