『平家物語』の延慶本には「鵯越」のほかに「腰越」という語がある。
『広辞苑 第五版』によると
ということらしい。
「腰越地域の概要 - 鎌倉市」には、
と書いてあった。
どうやら「越」は道を表すようだ。
越えといえばやはり「天城越え」だと思い「天城越」を調べてみると『広辞苑 第五版』には、
と書いてあった。
たしかに石川さゆりさんの「天城越え」が一番最初に浮かぶのだが、ちょっと違った。※ちなみに『天城越え』の歌詞は北条政子をモチーフにして書いたそうだ。
ネットを調べると、
「【ブラタモリ伊豆・天城越え編】全内容・ルートを写真でまとめと要約!」
という記事があった。
それによると、天城越えのルートは25.1キロあるらしい。
「越」はやっぱり道のようだ。
それで「越」について『広辞苑 第五版』で調べると、
と書いてあった。やっぱりである。
「道(すじ)」を英語でいえばroute(ルート)ということだから、天城山(峠)を越えるルートを天城越えと考えればよいようだ。
『広辞苑 第五版』で、ほかの「越」の用例を調べてみると、
などがあった。
大津市と京都市の間のルートを示す、途中越(7.4km)や山中越え(9.9km)は今でも日常生活で使う。
姫街道は『信長公記』に出てくる「本坂越」だ。
「本坂通り(姫街道)を歩く」
によると、姫街道(本坂越)は60Kmもあるらしい。
伊賀越えも大和国から鈴鹿関(三重県亀山市関町新所)までだとすると、60Kmくらいありそうだ。
どうやら「越」はかなり長いルートにも使える語のようだ。
「鵯越」が、神戸市兵庫区鵯町から藍那まで(鵯越でなく義経道というそうだ)だとすると10km程度のようなので、途中越(7.4km)や山中越え(9.9km)と同じくらいの距離になるが「越」というには、物足りない気がする。有馬街道にあったという天王谷越え(兵庫区平野から北区山田町下谷上あたりと仮定すると8kmほど)と比べても鵯越は険しい道ではないように思う。逆落としがあったと主張されている場所は崖になっているようだが、鵯越の碑から神戸市立鵯越墓園の中を通り抜けるコースは、造成したためか、ほかの「越」のつくルートと比べると緩斜面のような気がする。
「越」を調べたついでに
『広辞苑 第五版』で「鉄拐山」を調べてみたら、
と書いてあった。
「てっかいさん」の「かい」は「拐」が正しいので「枴」は誤植である。また、「北に鵯越、南西に鉢伏山、南東麓に一谷があって」とあるが、鉄拐山の北に鵯越があると一の谷へ下るのに鉄拐山を越えなければならなくなるので、鵯越があるとすれば鉄拐山の尾根または南斜面になければならない。伝承によれば「南に鵯越、南西に鉢伏山、南東麓に一谷があって」となる。