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兵庫県知事問題より怖い話。阪神淡路大震災は想定内!? 震源も震度も兵庫県警の予言的中!?

So-netブログの『博士の愛した株式』の阪神淡路大震災に関する記事を読んだ。

「阪神淡路大震災は震源も震度 も兵庫県警察本部警備部警備課の予想通り、想定内であった」と書いてあった。

阪神淡路大震災は想定外だったとマスコミや政治家が繰り返しテレビで言っていたような気がする。また、陰謀論か、と思いつつ読んでみた。

この記事に添付してあった兵庫県警の資料を見ると、兵庫県警が毎年行っていた防災訓練で想定していた発生時刻、震度、震源がほぼ一致しており、発生日のみ防災訓練の日と異なっていたようだ。

こういうのは、想定外でなく想定通りというのではないだろうか?

いや、発生日のみ防災訓練の日と異なっていただけだったら、想定とか予知とかいうより、予言に近い的中率のような気がするのだが、私の気のせいだろうか?

たしか、阪神淡路大震災発生当初、マスコミや政治家は「想定外」と繰り返し言っていたような気がするのだが、私の記憶間違いだろうか?

兵庫県の暗部を調べると、日本のマスコミと政治家のいい加減さ(警察への忖度?)が、怖いほど明らかになる気がするのだが、だれも、研究していないのだろうか?

1976年(昭和五一)の『旭影』には、「兵庫県と地震」という文が警備課によって掲載されている。

「本年は世界各地で大地震があいついで発生しており、とくに七月二八日、中国、八月一七日、フィリピンで発生した地震の惨状はいまだに記憶に新しく、改め て地震の脅威を印象づけられた。兵庫県については、地震被害は少ないと認識されているようであるが、決して例外ではない。県下に影響のある震源は別図のと おり随所に分布しており、兵庫県に影響のあった地震として、歴史伝承として記録されているものが二二回。明治以後、科学的に記録されているものが一〇回あ る。明治以後一〇回の地震の中で、被害の大きかったものの一つは、大正一四年の北但地震で、城崎を中心に、死者四二五人、負傷者八〇六人、家屋倒壊一,二 九五棟、今一つは昭和二一年の南海道地震で、淡路島を中心に、死者五〇人、負傷者六〇人、家屋倒壊二九二棟、という被害を出している。幸い南海道地震以後 三〇年、本件に直接影響を及ぼした地震は発生していないが、決して油断できるものではない。地震の予知については、あらゆる調査、研究によってかなり進んでいるが、将来ともずばり予測することは困難とされている。したがって警察としては、不幸にして大地震が発生した場合、被害を最小限にくい止めるため、平 素から対策を立て、適切な措置がとれるよう心がけておかなければならない。このため、九月六日、近畿管区内各府県警察の震災警備合同訓練が行なわれること となっている。(警備課実施係)」

この文の脇に掲載されている「兵庫県に影響ある震源分布図」と、一九九五年の阪神淡路大震災の震源の位置は一致している。兵庫県警察は、震災が起こるであ ろう地域を特定して、震災警備合同訓練を行なったのであった(下の画像は、1976年(昭和五一)の兵庫県警察機関紙『旭影』掲載の、警備課作成の「兵庫県と地震」という記事)。

So-netブログ『博士の愛した株式』より
「兵庫県と地震」『旭影』(1976年) ※「(警備課実施係)」と書いてある。

そして、兵庫県警察では、同年「″九月六日午後六時〇分紀伊半島沖を震源とするマグニチュード八.一震度六の地震が発生、県下でも神戸、阪神、淡路などの 地域で大きな被害が出た″-との想定で、この日大規模な震災警備訓練が実施された。この訓練は、近畿管区内一せいに実施されたもので、兵庫県警でも全職員 が参加して、警備本部設置・運用訓練、参集・編成・輸送訓練、現場活動訓練など8項目にわたる訓練を行ない、大震災に備えた。」

「倒壊した家屋の下敷きになっている被災者を、特別救助隊員がエンジンカッターで壁に穴を開け、無事救出。」 とか、「国道2号線府県境の左門殿橋から西へ1.5キロメートル、稲川橋交差点までを交通規制し、緊急車両等の優先通路を確保。」 など警備訓練活動の写真が掲載されている。

So-netブログ『博士の愛した株式』より
兵庫県警察本部機関誌『旭影』(昭和51年、10月号)

翌1977(昭和五二)年には、「京阪神地域震災警備訓練」が実施され、「―10月24日午前6時30分、京都、大阪、奈良三府県境を震源とするマグニ チュード7.6の地震が発生し、県下でも震度7~4を記録し、各地に大きな被害をもたらした。―との想定で管区内一せいに震災警備訓練が実施され、不時 の災害に備えた。」 のであった。

So-netブログ『博士の愛した株式』より
兵庫県警察本部機関誌『旭影』(昭和52年、12月号)

阪神淡路大震災は、1995年1月17日午前五時四六分、

北緯三四.六度統計一三五度の兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード7.2。

そのゆれは最大で震度七を記録し、兵庫県南部の阪神・淡路地域に大きな被害をもたらした。

つまり、1995年に発生した阪神淡路大震災は、兵庫県警察本部が

1977(昭和五二)年に実施した防災訓練の地震規模(マグニチュード7.6・県下で震度7~4)の想定内であった。

So-netブログ『博士の愛した株式』より

下の図は、兵庫県警察本部作成の阪神淡路大震災の震源と震度分布。

So-netブログ『博士の愛した株式』より
兵庫県警作成「本震自身分布図」「震度7と判定された地域」

警備課作成「兵庫県に影響ある震源分布図」の震源の位置と阪神淡路大震災における震源の位置は完全に一致している(つまり、阪神淡路大震災は震源も震度 も兵庫県警察本部警備部警備課の予想通り、想定内であったということである。このことは、被害拡大の原因が、兵庫県警殺の警備の不手際にあったことを示唆 する)。

このような、訓練がおこなわれるなか、1976年(昭和五一)7月19日装備課に航空係が新設され、同一二月、兵庫県警察に、全国で一二番目となるヘリコ プターが導入された。このヘリコプターは、警視庁から配置された国有機ベル206B1機で、「ひよどり」と命名された。同年12月17日に兵庫県警察航空 基地(仮説基地)が大阪国際空港内に設置された。さらに、1980年(昭和五五)7月、兵庫県が大規模災害対策に防災・救急用ヘリコプターベル222(双 発中型)「ひょうご」を導入し。兵庫県警は、運行管理を任されると同時に、兵庫県警察航空基地を兵庫県警察航空隊に改称した。同年11月には新庁舎が落成 している。

兵庫県警察航空隊の大規模災害発生時の活動の目的は、

「(ア) 警戒宣言発令後における地域住民の避難状況、被災状況の正確な把握
(イ) 交通渋滞時の交通流の把握、う回の指示
(ウ) TV中継装置活用による警備本部への災害状況の報告
(エ) 拡声器使用による避難誘導
(オ) 夜間(停電時)におけるヘリコプター搭載投光器の活用
(カ) 津波に対する海岸線及び山津波の視察と危険地域住民に対する情報伝達及び避難誘導
(キ) 被災者の救済救助、特に重傷者等の医療施設への搬送、医師等の現地への搬送
(ク) 被災地域住民に対する民心安定のための広報活動
(ケ) 陸路交通途絶時における救援部隊員の空中輸送
(コ) 食料、医薬品等救援物資の迅速な搬送
(サ) 通信途絶時の無線中継基地としての役割と遠隔地への通信器材の搬送」 とされている。

兵庫県警は、大規模災害に備えるために、膨大な予算(兵庫県警察航空隊とヘリコプター)を得ることが出来たのであった。

大規模災害に備えるための諸施策が、予算を要求するための広報活動としてしか役立たなかったことは、いまさら指摘するまでもないだろう。

市民は、警察官僚OB等が、危機管理論を鼓吹する理由が何かを、良く考える必要があるだろう。

組織の拡大⇒部署の増加⇒警察職員頭数の増加(確保)⇒裏金の確保

阪神淡路大震災とその後の危機管理論の隆盛は、後世の歴史家に、ポリス・リテラシーを欠いた警察への妄信が生んだ悲劇と呼ばれることであろう。

So-netブログ『博士の愛した株式』より

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