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「貸与奨学金」はダブルスピーク。「学生支援機構」という語は、「真理省」と全く同じダブルスピークの用法である!?

SSブログ『吾輩も猫党である!』の「[訂正]「貸与奨学金」はダブルスピーク。「学生支援機構」という語は、「真理省」と全く同じダブルスピークの用法である。」と、「「『たばこは薬物だ』発言の郡山市長にJTなどが撤回求める」??  たばこを「薬物」と呼ぶことが問題になり、「借金」を「奨学金」と呼ぶことが、まったく問題にならないのはなんとも不思議な話だ。」を読んだ。

「日本学生支援機構は、「貸与奨学金」というダブルスピークで、「貸与」(「学資金の貸付」という意味)と「奨学金」(「学資金の給付」という意味)という矛盾した二つのことを同時に表現し、「学資金の貸付」(学生ローン)という意味を表し、「貸与奨学金」という語を使う人々には「学資金の貸付」が「奨学金」の真の意味と思い込ませているのである。まさに、ダブルスピークである。」

「法文の「学資の貸与」を業務方法書など運営指針で「奨学金」と呼び変え、法文の意味である「学資の貸与」を「奨学金」とするのは、『1984年』のダブルスピークを使った法文解釈で、立法機関で制定された法律の意味を真逆に解釈させるように宣伝し辞書的意味を変え、その宣伝の意味を裁判に持ち込んで判決文を書いてしまえば「三権分立」は「専制」と同じ意味になる。」

などと書いてあった。

「「学資の貸与」を「奨学金」とするのは、『1984年』のダブルスピークを使った法文解釈」という部分が、妙に説得力があった。


SSブログ『吾輩も猫党である!』の「[訂正]「貸与奨学金」はダブルスピーク。「学生支援機構」という語は、「真理省」と全く同じダブルスピークの用法である。」

義務教育を受ける年齢の子供の所在が確認できない場合があるのだそうだ。

小学生の行方不明問題とでも呼ぶべきか。

学府の頂上を極めたはずの博士たちは、富岳の裾野に消えていくという。

ポスドクの3人に1人が行方不明なのだという(要確認)。

その多くは、能力に見合った職業がなく、奨学金の返済に行き詰っての自殺ではないかと噂されている。

奨学生の行方不明問題とでも呼ぶべきか。

安倍ちゃんが、高等教育の無償化を憲法に書き込む、改憲するんだ!!

と連呼していた。

もし、改憲しなければならないほどの人権侵害があるというのなら、

まず、貸与奨学金(貸付給付という意味。正義の味方になれるといって警察官募集したり、返済不要貸付といって消費者金融が契約を結ぶのとかわりない。これと比べるとスマホの実質0円はまだましか・・・)と称して借金を背負わされた人々を救済するのが先なのではないだろうか?

遠い未来に改憲したとしても、現在人権を侵害されている人々は救われない。


「独立行政法人日本学生支援機構法」「独立行政法人日本学生支援機構法施行令」にも「奨学金」という文言はない。

あるのは「学資金」という文言である。

法律的には「学資金」であるにもかかわらず、下位の法令である「業務方法書」で、「学資金の貸与」を「貸与奨学金」と再定義している。

「貸与」(貸付)と「奨学金」(学資金の給付)では、まったく意味が異なる概念である。

上位の法律の定義を再定義するなら、より限定された意味になるよう配慮するはずであるが、上位の法律の定義の概念にない意味、いや真逆の「奨学金」という語を使用している。

業務が、はなはだしい人権侵害になるはずである。

これが「借金」(貸付)=「奨学金」(給付)のカラクリである。

借金=「学資金の貸与」⇒「貸与奨学金」⇒「奨学金」(「貸与」を省略して単に「奨学金」と呼ぶ)、

つまり、借金(金銭を貸付ける)が「奨学金」(金銭を給付する)と呼ばれているのである。

「正義の警察官」や「白衣の天使」を超越している。

これは、

ウォーエルの『1984』のダブルスピーク(doublespeak、二重語法)である。

「戦争は平和である」とか「真理省」のように、矛盾した二つのことを同時に言い表す、あれである。

Wikipediaによると、「『1984年』作中の例でいえば「戦争は平和である」・「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としない言葉。」ということだ。

日本学生支援機構は、「貸与奨学金」というダブルスピークで、「貸与」(「学資金の貸付」という意味)と「奨学金」(「学資金の給付」という意味)という矛盾した二つのことを同時に表現し、「学資金の貸付」(学生ローン)という意味を表し、「貸与奨学金」という語を使う人々には「学資金の貸付」が「奨学金」の真の意味と思い込ませているのである。

まさに、ダブルスピークである。

さらに、

ダブルシンク(doublethink、二重思考)を使うと、

「『奨学金』は『借金』である!」という理解になる。

騙された人も、納得というわけだ。

このようなことになるのは、学生支援機構が大日本育英会の「奨学金」概念を継承しているからと思われる。

ダブルスピークの法文を、ダブルシンクで解釈することを強いる時代の名残だ。

現行憲法下では、無効な概念である。

あ、今もダブルシンクで法解釈を強いる時代が続いているのか・・・


安倍ちゃんが、高等教育機関の無償化を主張している。

たしかに、はなはだしい人権侵害になっているのに違いないが、

安倍ちゃんは、そのことを理解して主張しているのではないだろう。

理解しているのなら、改憲の必要がないのはすぐわかるはずだ。

安倍ちゃんの主張は、

警察が警察広報で嘘をついて、意図に反して真実を広報してしまうことに似ている。


※「学生支援機構」という語は、「真理省」と全く同じダブルスピークの用法である。

SSブログ『吾輩も猫党である!』


SSブログ『吾輩も猫党である!』の「「『たばこは薬物だ』発言の郡山市長にJTなどが撤回求める」??  たばこを「薬物」と呼ぶことが問題になり、「借金」を「奨学金」と呼ぶことが、まったく問題にならないのはなんとも不思議な話だ。」

2018年7月10日の『産経新聞』のサイトに「『たばこは薬物だ』発言の郡山市長にJTなどが撤回求める」という記事があった。

「「たばこは薬物」などと発言した福島県郡山市の品川万里(まさと)市長に対し、日本たばこ産業(JT)東北支社や郡山たばこ販売協同組合など関係10団体は10日、発言撤回を求める意見書を同市長に提出した。品川市長は先月4日、市を訪問した日本禁煙学会関係者に「たばこは嗜好(しこう)品ではなく薬物だ」と発言し、市議会で反発や謝罪を求める意見が相次いでいた。」というものだ。

たばこにはニコチンが含まれており、そのニコチンで中毒症状がでて、たばこを止めたくても止められなくなる。

●●●●さんなどは大麻の方が安全だといいそうだが・・・

中毒症状を起こしたり、警衛の後に配られる恩賜のたばこ(ヒトリヒ一箱らしいが巡査には菊花紋入りのたばこが一本しか回ってこなかったらしい)の取り合いをする警官の姿を見れば、「たばこは嗜好(しこう)品ではなく薬物だ」と言いたくなる気持ちもわかる。

たばこに含まれるニコチンの成分や中毒症状のことを考えると「たばこは嗜好(しこう)品ではなく薬物だ」と言っても、間違いとは言えないように思う。

たばこを「薬物」と呼ぶことが問題になり、

「借金」を「奨学金」と呼ぶことが、まったく問題にならないのはなんとも不思議な話だ。

「奨学金」と信じ込ませて、借金させて、借金を返せないなら破産しろとか、死んだときだけ返済免除(「奨学金」)になるから嘘じゃないというのは、ヒトとしてどうなんだろうか?

学生支援機構は、貸付限度額を遙かに超える金銭を貸し付け、借金させることを「奨学金」と呼んでいる。

広辞苑で確認すると奨学金制度の関連法が制定された昭和19年当時学資の給付の意味しか無かった。

その後貸与の意味が加えられるが、それは育英会の奨学金事業が返済免除特約付金銭消費貸借契約の形式をとった奨学金制度であっためで、育英会は返済免除を拡大する方針であったし、その運営も裁判を起こしてまで返済させることはしなかった。

それは形式的には貸与だが「奨学金」(「奨学金」は法定されて折らず業務方法書で学資の貸与を「奨学金」と呼び変えているだけ)として業務を行う以上、「奨学金」を利子をつけて返せという業務運営はしなかったのである。

つまり、学資の貸与を実質的に「奨学金」となるように業務運営するという業務の指針・目標をいうのであって、学資の貸与=奨学金ではない。

文部官僚の金蔓(天下り先)である学生支援機構は、「奨学金」と呼んで、返済能力の無い国民に貸し付け限度額を超える借金をさせ、破産や自殺(死亡時のみ返済免除特約が履行される)を奨励している。

これは、特定の階級のジェノサイド政策だ。

裁判官の日本語能力がないために、現在は、奨学金返還訴訟なるものを裁判所が受理し、「奨学金」という借金返還訴訟が普通に行われている。

法文の「学資の貸与」を業務方法書など運営指針で「奨学金」と呼び変え、法文の意味である「学資の貸与」を「奨学金」とするのは、

『1984年』のダブルスピークを使った法文解釈で、立法機関で制定された法律の意味を真逆に解釈させるように宣伝し辞書的意味を変え、その宣伝の意味を裁判に持ち込んで判決文を書いてしまえば「三権分立」は「専制」と同じ意味になる。

安倍総理の森友問題や加計学園問題を見れば「事実」には「嘘」という意味があるかのようだ。

公文書にある事実より安倍ちゃんの念いが事実になる。

「奨学金」=「借金」問題と同じことが安倍ちゃんの周りで起こっているように思われる。

あらゆる出来事(「公文書にある事実」)が安倍さんの念いどおりに変更されるというのは、『1984年』のダブルスピークを超えているように・・・

あ、佐々淳行先生流の危機管理論の危機管理広報話法だから当然か。

SSブログ『吾輩も猫党である!』
リートン作:ビッグ・ブラザー

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