人は自分のためだけには頑張れない
私はいつも自分のことばかり考えている、という自覚がある。
そんな私が、会社のメンバーが体調不良でその日の面談予定どうしようか?となったとき、たまたまその時間が空いていたので「面談代わります」と申し出た。
会社としての損失を防ぎ、カスタマーさんに迷惑をかけないために当然のことで、これまでもそうしてきた。
いつものことではある、が、そのとき、あることに気づいた。
なんかちょっと、いつもよりやる気出てる感じするわ。
なぜか?
その仕事の意味付けが変わったからだ。
ひとつは、その仕事を引き受けること自体が、大げさに言うと「人助け」となるから。
体調の悪いメンバーが無理に面談をしないで済むし、予定を確保してくれていたカスタマーさんもその時間を無駄にしないで済む。
私がその時間の面談を行うことで、2人の人を救う。(大げさ)
このことは、脳科学的にも説明ができる。
利他行動によって、脳の報酬系が刺激されるのだ。
もうひとつは、その面談目的が「私」のためだけじゃなく「私たち」のためになるから。
一旦は面談をリスケにすることもできるが、次は再調整できないかもしれない、というリスクが伴う。
私が代わりに面談を実施できれば、体調不良のメンバーの面談数は減っても、会社全体での確保はされるので、会社としての機会損失にはならない。
自分の行動が会社に貢献しているとわかりやすく感じられる。
私の例はたいしたことではないが、「全体の中の私」という感覚は、利他的で幸福度の高い人生につながるのだろう。
これは最近、仏教や禅、ヨガ哲学などを勉強していても同じように大切だと説かれていて、不変の真理なのだと感じる。
自分と他者と分けて考えない、もはや自分とか無い。自分の利益のみではなく社会のためにできることをせよ。
自分の所属しているコミュニティや、社会全体、遠い国のこと、未来の子供たちの時間、、、広い範囲で関心を持つことは、それだけで自分への執着が減る。
長く広く大きな全体の中の一部分をたまたま今、生かされている自分という存在。
そう思うと、本当に自分なんて小さいし何もできなくて当然で、意気込む必要も卑下する必要もない。
周りの人に、今日できる精いっぱいの貢献をしよう。