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木のあれこれ。no.2 街路樹(前編)

東京の街路樹の歴史

東京の街路樹の歴史は古く、文明開化間もない明治7年に銀座通りでクロマツやサクラを植栽したことが近代的街路樹の始まりと言われている。その後、都市整備が急速に進み、街路樹は東京オリンピックを契機として飛躍的に増えた。現在は、高層ビルの林立やアスファルト舗装の進展などにより東京の環境は大きく遷り変わり、街路樹の役割は緑化にとどまらず、ヒートアイランドの緩和や憩いの空間の創造、都市景観の向上など、拡がっている。

日本の高木(5M以上の木)街路樹本数ランキング

3位 ケヤキ

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ケヤキの名前の由来は「けやけき木」
「けやけき」とは「目立つ、一際優れている」という意味。
昔から材料としての有用性や20mにも育つその大きさで名前がつけられた。

また街路樹としてだけでなく、「鉄道林」としても活躍している。
鉄道林とは自然災害から線路を守るために鉄道沿線に設けられる森林である。
土砂災害、落石、雪崩、吹雪などから鉄道を守る。
ケヤキは成長が早く、根の張りがいいことから岩石地や崩壊地にもよく育成するので鉄道林としては斜面で栽培されることが多い。

ケヤキの耐用年数は800年〜1000年といわれている。
京都清水寺の舞台は78本のケヤキの木で今も支えられている。

また和太鼓の材料として最高とされているのもケヤキの木である。
弾力と重さがあって音を反響しやすいからである。
また強度、耐久性にもすぐれ、加工性も良い。
また美しい木目も魅力の一つとなっている。

2位 サクラ

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桜の名前の由来は諸説ありすぎる。
ここでは代表的といわれている7つを取り上げる。

① 動詞の「咲く」に接尾語の「ら」がつき「さくら」という名詞となったという説。
また、「ら」は花達という意味もあり「咲く花ら」と春に咲く花全般を表したともいわれている。

② 「さ」は「サの神様」、「くら」は神のおやすみされる御座(みくら)のことで、このふたつの言葉を合わせて「さくら」になったという説。
「サの神様」とは、天照大神よりも前に信仰されていた神様である。昔から山の神様が春になると桜に宿り、里に下りてきて田植えが終わるまで滞在していたといわれている。山の神様が里に下りることを「さおり」といい、田植えが終わって神様が山に帰ることを「さのぼり」という。

③ 古事記や日本書紀にも登場し、さくらの霊ともいわれる、木花開耶姫(このはなさくやひめ)を由来とする説 。
この姫が霞に乗って、富士の山の上空から桜の種をまいたといわれている。

④ 咲麗(さきうら)という言葉の略称という説。
咲麗とは、花が華麗に咲く様を表した言葉。

⑤ 割開(さけひらく)という言葉の略称という説。
割開とは、桜の樹皮が横や縦に裂ける様子を表した言葉。

⑥ サキクモルの意味が転化したという説。
桜が咲く時期は、移動性高気圧の晴天と、悪天候の低気圧の間隔が短く、雲りがちな日が多い季節である。この独特な天候を「花曇り」という。その天候をサキクモルと表現し、それが桜そのものの名前に変化していったという。

⑦ サは穀霊、クラは神座をさし、サクラとは穀霊が鎮座する場所という意味に由来するという説。(ほぼ②と一緒)
桜には農作物の神様である穀霊が宿っていると考えられ、田植えや収穫の時期を桜の開花の様子で決めていました。神聖な穀霊が宿る樹木だったため、その神様に由来する名前がつけられたという。②のサの神様と同一か不明。
(参考:https://www.hanamonogatari.com/blog/1001/)

桜が街路樹になった歴史
桜と一括りにいってもその品種は多種多様にある。

日本に自生する野生種のサクラは上記の10種、もしくは11種(species)であり、世界の野生種の全100種(species)から見るとそう多くはない。しかし日本のサクラに関して特筆できるのは、この10もしくは11種の下位分類の変種(variety)以下の分類で約100種の自生種が存在し、古来からこれらの野生種から開発してきた栽培品種(cultivar)が200種以上存在し[12]、分類によっては最大で600種存在すると言われており、世界でも圧倒的に多種多様な栽培品種を開発してきた(wikipedia)

とある、その中で街路樹として最も多く植えられているのが「ソメイヨシノ」である。

江戸時代に誕生したソメイヨシノ
ソメイヨシノは桜の原種ではなく、江戸時代に開発された桜である。江戸時代は一大園芸ブームが起こり、特に染井町、現在の駒込のあたりには腕の立つ植木屋さんが何軒も軒を連ねていた。桜だけでなく、朝顔やおもと(万年青)、ツバキなど、江戸時代に種を交配して新種を作りだす「育種(いくしゅ)」という大きな動きがあり、珍しい種は珍重され、値段が高騰することも少なくなかった。ヨーロッパはオランダにもチューリップ狂時代と言って、チューリップの珍しい品種などが珍重され、人々が球根を投機の対象としたバブル期があったが、江戸時代のそれも割と近しいようなことがあった。
1901年に「吉野桜」ソメイヨシノと吉野桜は別品種であることがわかり、「染井」の名をつけて「染井吉野」として広く流通するようになっていく。

東京近郊で現在よく見るソメイヨシノは、第二次世界大戦後に植樹されたものが多い。戦後荒れ地に植えられたのは、生長の早いソメイヨシノだった。まだ若いうちから花をつける桜として、戦後から高度経済成長期にかけて計画された道路の街路樹、堤防、公園や学校などにはだいたいソメイヨシノがある。

今後、街路樹から姿を消すかもしれないソメイヨシノ
桜の樹齢は長いものだと2000年。
他のサクラでも原種のもので1500年や800年などの樹齢のものがあるが、ソメイヨシノは140年や130年のものが数えるほどにしかなく、樹齢が短いのではないかと言われている。50年や60年ではないか?という説や、環境や手入れによってもう少し伸ばすことは可能だ、という話も様々で、まだはっきりとはしていない。

ここ何年か、戦後に植栽されたソメイヨシノが老朽化で伐採されるというような報道がなされている。理由は様々であるが、道路や線路に枝が張り出してしまったり、倒木の恐れがあるからである。そもそも、ソメイヨシノが植えられている場所が長年生育できる環境ではないこともある。植栽の間隔が理想は8~10mなのですが、実際にはもっと狭い間隔で植えられたりしているためである。

また、桜の木のもとで行うお花見などで根元部分を足で踏みつけていたりと、根に影響が出ることもあります。毎年綺麗に花を咲かせていても、実際には木が弱ってきていることもある。木が弱ってきているサインとして、幹の内部が枯れて空洞化したり、木の表皮に苔やサルノコシカケなどのキノコなどが生えたりすると幹の生長が止まっているといえる。

ソメイヨシノに代わって植えられるジンダイアケボノ
ソメイヨシノは「テング巣病」という病気にかかりやすいといわれている。サクラ全般にかかる病気ではあるが、ソメイヨシノは特にかかりやすく、野生種ではない種なので弱いとされているテング巣病は、小枝の一部分から、一度にたくさんの枝が出てしまう病気で、遠目に見るとまるで鳥の巣のように見える。海外では「witches’ broom」と言って、魔女のホウキに例えられたりもする。原因はウイルス、菌類、昆虫などさまざまですが、ソメイヨシノがかかりやすいのは「サクラてんぐ巣病」で、病原菌が原因である。

サクラてんぐ巣病は、病原菌の胞子が空気中に飛ぶことで感染するとされているが、詳しいことはまだわかっていない。枝が沢山でているところは、花芽がほとんどつかずに葉だけがついている状況である。症状が出ているサクラは、その部分を切り落とし、廃棄または焼却する。サクラは剪定すること自体がよくないとされているが、その理由は木材腐朽菌が樹内に侵入し、腐っていってしまうためなので必ず切り口には保護剤を塗る。

現在、植樹などで使われているサクラはソメイヨシノからジンダイアケボノへと変わっていっている。ジンダイアケボノはソメイヨシノとよく似た花付きのサクラで、原木が東京の神代植物園にある。その木を接ぎ木して、人工的に増やしたサクラがジンダイアケボノである。ソメイヨシノよりてんぐ巣病にかかりにくく、丈夫なサクラである。

参考:https://lovegreen.net/flower/p76596/

桜はやっぱり長くなってしまったので1位は後半で!

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 蟹王府(三越前/上海料理)にて木のワインリストを制作させていただきました。
(2020.12)

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