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人と人の関係ってなんだろ。

信じてもらえないかもしれないけれど、私はとても人が好きなのに、とても人が苦手だ。

人といると楽しくて世界がひろがる。その人を知るたびに新しい扉が開くワクワク感がある。
でもネガティブな視点が投影されると闇に落ちて、人がとたんに苦手になる。

それを乗り越えたくて過ごした20代〜30代は、嫌いとか苦手を経由した先にある絶対的なゆるぎない「好き」に憧れて、そういう人間関係を幾人かと築くことができた。
それから、ほどよい距離感を保てば誰かを特別苦手になることはあまりない、ということもわかった。
中庸に生きたかったから、大人になるってこういうことかなと思った。

だいぶ克服したぞ、と思ってきた40代。

日常から離れて内観をする時間がまとまってできた。自分の中にどす黒い嫌なものを観た。

自分の傲慢さ、それは若さが持つ傲慢さに似たもので理由なき自信。
それを毛嫌いして、謙虚さを常に持ち尊びたいと理想論を言っている私。
そして、無力感もある。
理由なき空虚な諦めの気持ち。
それらは気持ち良くないものだから、昔から現れては見て見ぬふりをしてきた感情パターン。

そして気がついた。私が人を苦手と感じていたとき、それは自分の中にある目を逸らしたい自分の一部分が、目の前の人の中に見えた時に、私はイライラしたり、その人を苦手と感じていたことに。

つまり、私が✖️をして裁いていたのは私自身のことで、✖️をすることで傷はさらに深くなった。

ごめんよっておもった。
ノーをつきつけた私自身にも、きめつけた相手にも。

人間として生まれてきた以上、あらゆることを経験する。

傲慢さも謙虚さも、満ち足りた気持ちも空虚な気持ちも、冷静も情熱も、親切も冷淡も、優しさも意地悪も、勇敢も弱虫も、誠実も不誠実も、強気も弱気も、ポジティブもネガティブも。

振り子は意外にも極端にふれる。
人間の多面性をはじからはじまでを体験して身を持ってそれもこれも自分なのだと受け入れた時、他人の中にあるそれをみつめる視点は、何一つ✖️をつける必要はないと、大らかになるかもしれない。ならないかもしれない。まだ先はわからない。

そんな気持ちになった40代半ば。

さてこの先、他人と自分自身と、私はどんなふうに関わっていくのだろう。

生きてるかぎり実験中。

願わくば、この世界から旅立つときにたくさんの経験を重ねて私なりに腑に落ちて、すっきりとこの人生を終わらせたいと願ってる。

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