自分流のスタイルがある人を羨ましいと感じる気持ち
タイトルが長いですね。でも気持ちはこのまんまなんです。
自分の中にある変化について書いてみたいと思います。
羨ましい気持ち
以前の私は、noteを読んでもインスタを見ても、自分流のスタイルで発信している人を見ては「いいなぁ」とただ憧れていた。自分を表現しているだけでも凄い!と純粋に思っていたからです。「自分の中から表現を生む」なんて、それだけで素晴らしいと思っているし、内容によっては書ける様になるまで沢山のプロセスを踏んで文章にしている方だっていると思います。そうやって個人の人生をとおし文章を生み出すこと自体、やはり素晴らしいと感じずにはいられない。そんな私に最近生まれたのが嫉妬心なのです。
嫉妬心
私がどんな人に嫉妬しているのかというと、自分なりのスタイルで表現方法が確立していて、且つそれを読んでくれる人、見てくれる人がいる人に嫉妬している感じがするのです。自分でも「あれ?なんか今までは純粋に良いなぁ〜で見れたのに、今は少しモヤっとする気持ちがあるぞ?」と感じたので、そのモヤッとの意味を自分で日記に書き出してみたのです。つまり「ファンがいる人が羨ましい」と純粋に感じていました。自分の気持ちに気付いた瞬間、小さな自分の成長を感じました。自分の表現を持つだけで精一杯だった私がそんな気持ちを抱いている・・・なんだかニッコリ微笑んでしまった。
スキをもらえるだけで嬉しい自分
正直、私はガラスのハートなのでスキの通知がいつもより多いと「え!こんなに読んでくれた人がいるの!」ってビックリしてしまう。本当にタジタジするのです。でも読んでくれる人がいるのは純粋に嬉しいです。本当はメンタルのことをもっと書いていきたいのだけど、まだ自分の中で言葉にすることが難しい部分もあると感じています。言葉を探しながらもう少し書く練習をして、自分の心の向き合い方を記していけるようになりたいと思っています。
自分を打ち明けられる場所をつくってみたい
そんな私が以前から「こんな場所があれば気持ちが楽になる人が増えないかな?」と思う場所がありました。海外映画に出てくるようなセラピー的な要素かもしれないのですが、「自分を打ち明けられる場所」をいつか作ってみたいと思っています。
例えば、お酒を飲む場でたまたま隣合わせた人になら話せることってあると思うんです。現実の生活や仕事で繋がりが無いからこそ、一人の人間としてサラッと本音を言えてしまうっていう感覚ってありませんか?家族や仕事仲間の前では崩せない自分のキャラを、この先会うことの無いだろう第三者には少し崩せてしまうことってありますよね。
そんな風に、相手の話を聴いて共感しあう場のようなものを作ってみたいです。
共感って
そしてここでいう共感とは、「相手を励まそう」とか「かっこいいセリフ」を言わなきゃとか、「アドバイスしよう」なんてことは頭から消して頂いて、ただ相手の話を聴いてうなずくことをしたいと思っているのです。私も自分なりに学んでいる途中ですが、相手の話を聴くというのは、相手の話を遮らず、相槌で受け止めることなんだなと感じ始めています。相手を主役に話してもらうこと、そして聴き手は「そうなんだね」って頷きながら相手の話を受け止めることが寄り添いの第一歩なのかな?と感じてなりません。励ましやアドバイスは相手の話を一度受け止めてからの方が効果的なのかな?と感じています。そもそもみなさん自分の答えは自分の中に持っていると思いますし、ただ聴いてほしかっただけなんてことも多いですよね。話すことで頭の中を整理し、自分の本音に気付くキッカケになればいいなと思うのです。
今できることを日々取り組む
今の自分がやってみたいことを書きましたが、先ではもっと変化してる可能性もあるので、「今の私が思ってること」ぐらいで認識していただけると嬉しいです。今自分に出来ることは働きながら、自分なりに学びを重ね、こうやって書くことです。一人でも多くの方に自分の文章や考えを伝えてみることです。「私の書いたフレーズが、誰かのキッカケになってくれたらいいな」そんな気持ちで書いています。答えは皆自分の中にあることだから、何がキッカケで自分の気持ちに気付けるかってことだと思うんです。私にとってこんな風に自分のやりたいことを書くのはわりと勇気の要ることなので、今もドキドキしながら書いてます。でも、これも表現する練習なんだと思い、毎回小さなハードルを飛び越えようとしているところです。
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