『無目的な思索の応答』、になる前の企画書
先月末、又吉直樹さんと武田砂鉄さんが東京新聞上で1年半にわたり交わし続けた往復書簡をまとめた『無目的な思索の応答』を朝日出版社より出版しました。おそらく複数社のオファーがあったにもかかわらずなぜか出版権を獲得できたのですが……ふとオファーした企画書を見直したらちょっとした内容紹介にもなっている気がして、以下に本書のガイドとして冒頭部分をアップしてみることにしました(その後の加筆修正などはナシ)。
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2018年3月2日 朝日出版社 綾女欣伸
小学校低学年だったと思う。この世にサンタはいない。というかお父さんだと知った直後のクリスマスの深夜、僕は逆に父の寝ているそばにプレゼントを置いた、のを覚えている。その年の夏休みが終わる数日前、あり合わせの木材で突貫で作った出来損ないのような小舟だった(しかも父も手伝ってくれた気がする)。正直、そんなものをもらっても子供だって喜ばない代物。たぶん咄嗟に、父にも何かあげなくてはと焦ったのだろう。もしくは長年の労いのつもりだったのだろうか。そのときの自分の行動の真意も、その小舟を翌朝見つけた父の表情も、まるでわからないし覚えていない。ただ、自分が作ったものなんて、それくらいしかすぐに見つからなかったのかもしれない。
こんなことを思い出したのは、又吉直樹さんと武田砂鉄さんの「往復書簡」をあらためて通読したときだ。2016年の8月から毎週楽しみに読んできた。
「夜光虫っていうのはぶつかったときしか光らない。みんな、集団の中で黙っておとなしくいたとしても、心の中では色々なものが溢れているはず。きちんとぶつかって光を発すればいい」(2016年12月15日)
これは武田さんが引いた加藤登紀子さんの言葉だけれど、この往復書簡全体を貫いている動線だと思う。武田さんが又吉さんに、又吉さんが武田さんに、週に1度、少しだけぶつかる。昼というよりは夜だ。『劇場』で永田が路上をさまよう夜のイメージだ。毎回、ぶつかる角度も、その音も、ぶつかった後の光り方も違う。ぶつからないで、すれ違うときもある。毎週、違和感で錆びついた暗闇にぽっと浮かび上がる、その仄かな発光の足跡を追っていった。
「埃をはらったり、土を掘り返したりしながら、さまざまな素材をぶつけあってようやくひらめきや切り口が生まれるのではないか」(2017年10月3日、武田さん)
「誰かから与えられる思考や言葉は形としてそこにあったとしても、自分の日常や思考と響きあうことで、より明確になったり、また違う思考を生み出したりすることが面白い」(2017年12月19日、又吉さん)
思い思いに光る夜光虫にぶつかって、読んだ者も勝手に光る。だから僕もクリスマスのことを思い出したし、別の者はまた別様に光るだろう。二人の言葉の往復が、面倒な挨拶や気配りや通念を前略に追い込んで、その分、自由にぶつかるためのスペースを空けておいてくれているからだと思う。そして二人とも、安全な場所からははみ出して(というかそれを気にせず)ぶつかろうとしているからだと思う。
だから読んだ者もつい勝手に光ってしまうし、創作にかかわる者であろうとなかろうと、これまで通ったことのない道に率先してはまり込んで行こう、という気になる。未来はわからなくてちょっと怖いから、まずは過去のほうに行くのかもしれないけれど。
……と、前置きが長くなりましたが(すみません、文体を変えます)
(と、以下続く)
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『往復書簡 無目的な思索の応答』刊行記念
又吉直樹×武田砂鉄トークイベント
違和感の居場所 〜芸人とライター、書くときに考えていること〜
5月17日(金)19時開演(18時半開場)
@新宿・紀伊國屋ホール
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