空白と中間の国で
「これらは最後の物たちです、と彼女は書いていた。一つまた一つとそれらは消えていき、二度と戻ってきません。私が見た物たち、いまはない物たちのことを、あなたに伝えることはできます。でももうその時間もなさそうです。何もかもがあまりに速く起こっていて、とてもついて行けないのです」(ポール・オースター『最後の物たちの国で』柴田元幸訳)
三月の連休を最後に記憶がひどく曖昧なままでいる。憶えておかなければと思うことはたくさんあったはずなのにすり抜けていってしまった。プレイリストに入れておこうと思っていた曲が何だったのかもう思い出せない。ベースの空白があまりにも広すぎるからかもしれない。ひとつずつ消していった手帳の予定は三月末には五月まですべてなくなって消えて手帳そのものを開くこともなくなった。季節外れの雪がもし積もってくれたのなら空白はもっと白くなったのかもしれない。けれどまだ手元にある記憶がいくつかある。
中間。とてもやる気が出るときと、何もやる気が起きないときとのどちらかで、よく天井をぼんやりと見つめていた。そのあいだに広がる中間地帯を見るのが怖かったのかもしれない。この先の世界に前向きに参画していきたい自分と、そこに取り残されていたい自分とがあって、どちらも嘘のような気がする。20代のときに行ったバルセロナでアイスコーヒーを注文すると氷の入ったグラスと熱いコーヒーのポットが運ばれてきた。「アイスとコーヒーはあるけれどアイスコーヒーというものはもともと存在しないのです」。早く終息を願うなかで本質的な終息を怖がっている。変わるにしろ変わらないにしろ、ベッドが同じなら必ずどこかに皺ができる。帆を上げるようにシーツに風をブワーっとはらませて、皺ひとつなくたゆたう大きな一枚の白を思い描く。
電話。ある人から電話がかかってきて気づけば一時間も話していた。「長電話するのがこんなに貴重なことになる日がくるなんてね」。とその人が笑ったとき、その奥に線路の響きが聞こえた。「屋上からかけているのよ」。生活の場へと集められた光と失われた光とのあいだを電車が、明かりそのものを運ぶようにして走り去っていく。長電話なんて一切しなくなってその仕方さえ忘れていた。のに、またあるときは電話で話しているうちに家の近くまでたどり着いてしまってそこまでどうやって歩いたか思い出せず、そのまま高台の神社にのぼった。距離が距離を失くしてくれる。三密に親密は含まれない。雨が降り出したので傘をさした。「自分が変わったのか、社会が変化したのか、あるいはその両方かもしれないし、結局ものごとの本質は何一つ変わってはいないのかもしれない」(堀部篤史『90年代のこと』)
バス。客が無人のバスに乗ることも珍しくなくなって、いちばん後ろの真ん中の席で揺られているとなんだかこの時間を少し支配しているような気分になる。と突如、揚げ物の匂いがかすかに前方から漂ってきて、夕方の買い物を終えたおばちゃんが一瞬視界に入って、段下の席に消えると、動くこの世界はまた無人に戻る。ふだんと違って開け放たれた窓からは春の夕暮れの風が赤みをまとって吹き込んできて空気を中和していく。これがもしふだんと違わなければ本当に気持ちがいいのに、と思うと少し切なくなった。日が長くなったんだ。
散歩。四〜五日に一度、毎回一時間ほど夜遅くの街を歩いた。同じように散歩しジョギングしている人たちに、同じ夜の王国の住民どうしの連帯感を覚える。マスクをしていても時おり花の香りが通過してきて、外すと夜を吸ったピンク色の花々がいっそうその存在を主張してくる。僕はそれが何の花だかわからない。植物園の横を、公園の脇を歩くとかすかに草木の匂いがして、闇の中でひっそりと呼吸をしているのがわかる。坂を登るのは足応えがあっていいけれど息が荒れてきて、マスクをずらす。そして路地で一人、今の時間の自分だけに与えられたご褒美のように夜の水面から顔を出して空気を思いっきり肺に吸い込む。
動きが生命をつくるのならば、五月の強い風にゆさゆさと揺れる樹々の葉は生命そのものだと思う。道の向こうのコンビニの上にとりわけ揺らめく緑のかたまりを認めて急いでスマホで写真を撮るけれど、動きそのものはもちろん写らない。でも写真を見るときの自分にははっきりと動いて見える。もっと厳格にこの緊急事態下の底に留まっていたら、そこで目にしたものは後でもっと生き生きと動き出したのかもしれないのに、とすでに後悔しながら、青でななく黒の手帳の六月の空白に二カ月ぶりに新しい予定をひとつ刻む。
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