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書評/『翻訳できない世界のことば』 エラ・フランシス・サンダース=著 前田まゆみ=訳、創元社、2016年

 ボサノバを聴いていると「サウダージ」という言葉に何度も出くわす。Saudade。「郷愁」「孤愁」「憧憬」と訳を重ねていっても、しっくりくる言葉が日本語の中には存在しない。——漂流を重ねた男が幼馴染みの女をふと訪れる。十年も会っていないのに、女は何の質問もしないで疲れた男に椅子をすすめ、黙ってコーヒーを入れる。そして静かに男の言葉に耳を傾ける。人生にこういう女を持っていなければ「サウダージ」の意味はわからない——と音楽家のピエール・バルーは言う(『サ・ヴァ、サ・ヴィアン』)。一言で言えるはずがないわけだ。

 本書はこうした、自国語に「一言」で「しっくり」と翻訳できない他国の言葉のサンプルを世界中から集めた、文化の見本帳だ。二十代の著者が描くみずみずしいイラストが、優秀な通訳を買ってでてくれている。

 天気予報士が「今晩は絶好の『モーンガータ』でしょう」と声を弾ませ(スウェーデン語で「水面にうつった道のように見える月明かり」)、「ピサンザプラ」で料理を出す店が覇権をあらそう(マレー語で「バナナを食べるときの所要時間(2分程度)」)、そんな風土が垣間見えたかと思えば、「イクトゥアルポク」(イヌイット語で「だれか来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出て見てみること」)、「トレップヴェルテル」(イディッシュ語で「あとになって思いうかんだ、当意即妙な言葉の返し方」)といった、『新明解国語辞典』に偏った用例とともにすぐさま採用してほしい単語も見つかる。

 日本語からは「ボケっと」「積ん読」「木漏れ日」「わびさび」の四語が採用されているが、「賢者タイム」「いやげもの」「ナガシマシゲオ」(言い換えても意味は同じなのに、それを上まわる勢いと説得力があること=例「打つと見せかけてヒッティングだ」)なども採用してほしいところだ。

 原題は『LOST IN TRANSLATION』。ソフィア・コッポラの映画のように「翻訳できないこと」に戸惑うのではなく、むしろ言葉の世界に積極的に迷って、風景や人間や食べ物とのあいだに生じる感受性を広げていこう、といった子供心を感じる。思えば「言葉に迷子になる」ことはなにも他言語間にとどまらない。日本人どうしのあいだにだって、一言では言えない感情がある。同じ景色を「美しい」と言ったところで、重ならない気持ちはある。とすれば、本書は文化をめぐる民族誌というよりは、言葉をめぐる哲学書にも接近してくるだろう。世界を言葉で掬いとる、その網のなんと多彩なことか。ちなみに本書で「サウダージ」は「心の中になんとなくずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望や、または、愛し失った人やものへの郷愁」。前田まゆみ訳。

綾女欣伸・評
(2016年6月18日の講座「企画でメシを食っていく」で出した課題に自ら書いてみたものです)


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