有言実行の美徳
文化的なものに可能性が90%以上で「できる」という日本人、50%以上で「できる」という中国人。50%以上でできると言い続けた方が、できるに近づくことができるという考えは私自身は理解ができるし、やってきた。
出来ないかもと言って、誰に降りかかるでもない「責任」感じてできることまで閉ざす必要はないと思うから。
私は今でもやってみる、できるを実行している。だけど90%以上でできるという日本人はこの可能性の低い「できる」という言動を許さない。これが私の感じる「仕事は嫌いと思ったことない、関わる人間が嫌いなだけ」なのだ。
私は人が不得意とすることを得意とし、誰でもできることはやってこなかった。これで何度も出る杭は打たれるという経験をしてきた。
失敗もあるし、やると言ってできない、やらない(邪魔されてやれない?)ことも沢山あった。協力してくれた人には申し訳ないけど、でも自分の責任で不利益はかけないようにやってきたつもり。
邪魔する人の特徴って
私の前に立たないで → 頑張っても無理、能力の限界
不平等だ → 見えている世界が狭い、自分自身の要領が悪いだけ
色々な人から呼ばれている、私は偉い → 結局良い条件のとこどこにも行けてない、ほめられない、能力がないから自分で示す必要がある
都合が悪い人に対してその人が悪い → 同じことしているのに自分の失敗はひた隠し
あなたが選んだんでしょ?全うすべき → 嫌なのにその場から身動き取れない、独立する能力がない
同じことができないのね → 新しいことに挑戦できない、わからない
こんなこともできないの? → こんなことはやる必要が無かったりもする
どう?
この人たちのためにやらないの?
陰で色々言われるから諦めるの?
可能性を潰してしまうの?
妬みに付き合うの馬鹿らしくない?
黙ってる、やり返さないのも美徳かもしれないけど、笑いながら反撃もありなんじゃないかな?