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ネタと切り口、比重はどちらに

 本やネット小説を選ぶ基準は「作品が面白そうだから」だけでなく、「作者が好きだから」も王道です。
 そうやって作者ごとに作品を追いかけていくと、多様な作者の傾向が自然と収集されてきます。その複数の傾向を、人間の心の起伏として、自分の心の地図に書き込むように楽しんでいます。

 目の前の作品はどんなものを志向してどこから来たのかを、想像します。さらには、その多様な志向性のなかにも、一定の傾向を見つけるのが好きです。

ネタ(題材・分野)か、切り口(視点・形式)か

 今回私が感じ取ったのは、「ネタ」と「切り口」の対比です。
 新しい作品に取り掛かるとき、どちらを変更することが多いでしょうか。
 どちらも変えたほうが新鮮な取り組みなのは間違いなさそうですが、比較的、こちらを変えるのがスムーズでやりやすいといった、癖や習慣がありませんか。

 「ネタ」と「切り口」の対比を、一段抽象化すると「題材」と「視点」に、さらに範囲を広げると「分野」と「形式」ともなります。
 どちらかといえば、いつも同じでも飽きないほうが、より重視していて深い思い入れがあるのではないかと思います。継続して上達したいと考えている対象が、どちらに向いているのか。

 私には無意識で動く「いつもの」思考回路があり、「切り口」を変えるほうに傾いています。興味があるテーマはいくつかあり、それらからどんな要素を取り出して組み合わせるかと考えるのが楽しいです。なので何らかのお題が与えられるより、何を書いても構わない形式のほうが、私は高揚感を得られて好きです。日ごろの読書は、テーマを粘土細工のようにこねる楽しさや、食材の買い物のような補給の感覚もあります。

ノンフィクションは「何を書くか」、フィクションでは「どう書くか」なのか?

 先日、新書の『小説編集者の仕事とはなにか?』(著者:唐木厚)を読み、印象に残った箇所がありました。編集者の仕事としてノンフィクションとフィクションを大別しており、力点の置き方が「何を」と「どう」で違うとする説です。

「たとえば講談社なら『 ViVi』や『 VoCE』などの女性誌、『週刊現代』や『フライデー』などの報道誌を発行しています。こういった情報メディアや報道メディアを取り扱うのがノンフィクション系の仕事です。  そこでは、「読者に何を伝えるか」に力点が置かれます。」

—『小説編集者の仕事とはなにか? (星海社 e-SHINSHO)』唐木厚著

「それに対して、「読者にどう伝えるか」に力点が置かれているのがフィクション系です。講談社だと、小説の単行本出版部や、『青い鳥文庫』などの児童書出版部、『週刊少年マガジン』などのコミック誌編集部がこちらに入ります。  フィクション系の世界では、ノンフィクション系と違い「何を書いたか」だけで評価されることはありません。」

—『小説編集者の仕事とはなにか? (星海社 e-SHINSHO)』唐木厚著

 ノンフィクションとフィクションを「何を」と「どう」で大別する著者の見方は、腑に落ちるものがあります。

 ただこれはあくまでも編集者視点であり、フィクション作家のなかにも「何を書くか」に力点を置くひともいると思います。「自由意志」や「自我」など、抽象的なテーマがついてまわることもあるでしょう。
 ノンフィクション作家が「どう」に力点を置く場合もあるかと思います。自己啓発などの古今東西普遍のテーマであっても、どのように構成し訴求するのかで変わります。

 「何を」の核が定まることが「どう」と関連するとも思います。というか、これが強く関連することは、よい作品の前提でもあると感じます。

「何を」「どう」表現するかという二つの軸は、どちらも充分に追求できるのが一番です。しかし競争の基準や読者から求められる傾向などが混ざり合って「場の雰囲気」をつくりだし、意識するしないに関わらず、似た系統の作品が引き寄せられるように集まります。

「何を」「どう」作るか。どちらを主軸に置き、どちらを頻繁に変更するのか。「何」と「どう」は密接に関わり合っているか。
 自問するのも良いし、読書中に考えるのも楽しめます。

 


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