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よくコケるのは運動不足のせいじゃなかった

どうも。イマニシです。今日も暑い!

前回の投稿を自分のSNSでもシェアしたのですが、仕事関係者や友人に私が病気を患っていることをスマートに報告できただけでなく、「遠位型ミオパチー」という病気の存在を知ってもらえて良かったです。

患者数の少ない指定難病なので、まずは世間の人に知ってもらうことで、新薬研究が進むはず。私が新薬開発の現実を知ったのは、織田友理子さんのインタビュー記事でした。私と同じ遠位型ミオパチーの患者さんでめちゃくちゃアグレッシブに活動されています。織田さんの活動に関しては今後紹介したいと思っています。

膝に上手く力が入らないけど気のせい?

今回は私が病気に気付いたきっかけから診断に至るまでの流れを振り返りたいと思います。あくまでも私の場合なので、同じような症状の人が全員遠位型ミオパチーというわけではありません。

2018年 夏の雨の日に駅で転倒
これははっきり覚えています。雨の日に駅でエレベーターに乗ろうとしたら、ゆるやかな坂になっていてツルンとすべったんです。
その日は観劇の予定があったので痛みを抱えながら向かったのですが、帰宅する頃には左膝がパンパンに……。

翌日、帰省先で総合病院へ。骨折はしておらず、急な衝撃が加わったことで膝に水が溜まっていると説明され、帰省中に2回水を抜きに行きました。

水を抜くと痛みはマシになったのですが、左膝をかばいながらの生活がひと月ほど続きます。すると、なんだか歩くときのバランスがおかしいんです。とはいえ、怪我したからそんなもんだろうし、そのうち治るだろうと、とくに病院に行くこともなく普通に暮らしていました。

2019年 疲れると膝が抜けやすくなる
翌年になると、重い荷物や長距離を歩くと膝がガクッと抜けるような感じで転倒することが出てきました。「こける」というのは、怪我ももちろん心配ですが、どちらかといえば精神的にくるんですよね……。それが怖くて外出することが少し減りました。

ちょっと変な歩き癖がついてしまったんだろうな。そう思って、健康診断を受けた際に医師に伝えると「リハビリしましょう」となり、半年ほどその病院でリハビリを受けました。リハビリをすると、たしかに少し足が上げやすくなる感じがしたのですが、仕事をしながらこまめに通うのが大変で、結局行かなくなりました。

あと、念のためにと3点で支えるタイプの杖を買ったのもこの頃です。ディズニーリゾートに行く際に杖を持ったのを記憶しています。

2020年 階段は手すりがないと無理
「こけるのが怖い→歩かない→足の筋力が落ちる」という負の連鎖に。ただ、これは私の思い込みで、本当はすでに遠位型ミオパチーを発症してたんです。

この年には階段を上るときは手すりがないと無理で、タクシーで移動することが増えました。ただ、会社員としてバリバリ働いていたので、取材なども積極的に出向いていたと思います。万が一こけても、立ち上がれるからいいやという感じでした。

2021年 外出時は杖がないと歩けなくなる
コロナで在宅勤務が始まって以降、ますます足の筋肉が弱り、杖がないと外を歩くのが不安に。あと、転倒するとひとりで起き上がれないという問題が出てきます。たしか家のなかで盛大に捻挫をしたのもこの年。

2022年 再度リハビリに通う
フリーランスになり、少し時間の余裕が生まれました。家族や友人にも足のことをかなり心配される状態だったので、さすがにこれはいかんと思い、引っ越しを機に再度リハビリに通いました。

「筋肉が弱ってるから」という理由で加圧トレーニングも組み込まれたのですが、これがめちゃくちゃ大出費。フリーランスになりたてで収入が不安定な状態なのに、毎月何万も出費するのがキツすぎて、結局3〜4か月でリハビリを止めてしまいました(でも週3〜4で行ってた)。

ただ、この年の3〜8月は妹と暮らしていたので、どうしてもできないことは妹に頼めたり、引きこもりがちだった私も無理やり外出せざるを得なくなり、足が悪いなりに活動的ではあったと思います。

2023年 足が動かない理由が判明する
一旦実家に戻っていた妹と母が3月から東京で一緒に暮らすことになりました。母は何年も私の足を心配していたので、私もついに観念して近くの総合病院の整形外科へ。ここからは私の病気がわかるまでの大まかな流れです。

3月8日:近所のA総合病院の整形外科を受診。レントゲンをしたあと、「痛みはないんですか? それなら念のため神経内科で診てもらいましょう」と言われる。

3月16日:A総合病院の神経内科を受診。MRIや心電図、血液検査(7〜9本くらい抜かれる……)などをした結果、「血液検査で筋肉が傷ついているという数値が出ている。まずは心臓を診た方がいいから、近くの大学病院になるべく早く行くように」と言われる。もし心筋梗塞など心疾患だと命の危険があるので、めちゃくちゃ怖い。

3月17日:近所のB大学病院の循環器内科を受診。心電図とかエコーとかいろいろする。この日の結果ではとくに大きな病気は見つからなかったが、念のため、次回はホルター心電図や超音波を撮ることに。

3月23日:A総合病院の神経内科にて前回の検査結果の詳細を聞く。ここで身内に遺伝子に問題がある人がいないかなどを聞かれ始める。このときは「ミトコンドリア病」という指定難病の疑いをかけられていたようだが、先生は何の疑いがあるかをはっきり言ってくれなかった(後日、B大学病院の主治医がカルテにそう書かれてると言ったことでわかった)。

うちの病院では診断できないから、国立精神・神経医療研究センターか東京大学病院を紹介すると言われる。前者は遠いので、都内の東大病院を選ぶ。

ちなみに、A総合病院は東大病院との関わりは普段なく、この先生が東大病院を紹介してくれたことには本当に感謝している。

3月24日:東大病院の脳神経内科を受診。前日に電話をしたら、たまたま朝イチの予約が空いていた。

ひととおりの状況をチェックされる。先生には「まぶたが下がっている」「声が鼻から抜けている」なども指摘され、「たしかに」と思う。過去の顔と比べるために、とにかく昔の写真を見たいと言われて出したのが成人式くらいの写真で、先生とは同い年だとわかる。若い。

45分ほど診察を受けた結果、まずは遺伝子検査をすることになる。今回も9本くらい血を抜かれた。結果が出るのは1か月後。

4月5日・6日:B大学病院で5日にホルター心電図用の機器を装着してもらう。これをつけたまま24時間生活して、心電図を計測するらしい。

翌日、機器を外してもらったら心臓超音波検査。4月の最初なので、先輩と新人のペアが病院内の各所に多く、超音波検査も新人→先輩の順でされた。新人さん、頑張れ。

4月14日:B大学病院の循環器内科でホルター心電図と超音波の検査結果を聞く。とくに問題ないとのことなので、次は2か月後。

4月20日:東大病院の脳神経内科を受診。前回の遺伝子検査の結果は病気に該当せず。病気がわからなくてちょっと落ち込んだが、「可能性がひとつ消えたことは大きな進歩です」と主治医に言われてはっとする。

次は筋生検が必要だが、2週間ほどの入院が必要なので、その前に研究としての遺伝子検査を勧められる。研究なので結果が出るのに2か月かかるが、費用はかからないらしい。あと、私のデータが後世に活かされることを散々言われた。なんだかどえらいことになった。

6月15日:東大病院の脳神経内科を受診。再びの遺伝子検査の結果、眼咽頭遠位型ミオパチーの遺伝子が認められる。「これがわかるまでに4か月もかかりましたね」と主治医に伝えたら、「かなり早いほうです」と言われた。

難病患者には医療費助成があることや、これからの生活にどんなサポートが必要になるか、7月に2週間ほど入院して検査することなどが伝えられる。

ちなみに、眼咽頭遠位型ミオパチーの遺伝子がほかのミオパチーと共通の遺伝子異常があることを、東大が4年前に発見したらしい。そりゃそんな最近なら患者もいないよね……。

6月23日:B大学病院の循環器内科を受診。心電図や血液検査、レントゲンを受けて、特に問題なし。疾患が特定されたので、もう来なくて大丈夫と言われる。

遺伝子疾患だと聞いた正直な感想

ぶっちゃけ、「遺伝子疾患」であったことで自分を責めなくて済んだなと思っています。もし、「自分の生活習慣が悪かったから」とか「病院に行かなかったせいでこうなった」とかなら、めちゃくちゃ後悔しただろうなと。

でも、私の生まれ持った遺伝子が理由になるなら仕方なくないですか? だってどうしようもないし。それに、この眼咽頭遠位型というのも4年前までよくわかってなかったということなら、いまのタイミングでちょうど良かったのかもなーとか。

ついでにいうと、私が東京に住んでいるのもラッキーで、予約の電話をした翌日に東大病院で受診できたというのも、なかなかすごいことだと思っています。しかも家族と一緒に暮らし始めたタイミングですし。

物事をポジティブに捉えるのは持って生まれた性格だし、いまはそういう思考の人間に育ててくれた母に感謝しています。病気はポジティブなだけではやっていけないけど、できるだけありのまま自分を受け入れていくしかないんだろうなと思う毎日です。

日々の思い出

有楽町の交通会館にパスポートを受け取りに行ったついでに、地下で食べたランチ。刺し身の下にあるのは巻き寿司で、ボリュームがエグい。
先週末、ららぽーと横浜に行った。ランチに点心食べ放題のレストランを選んだが、1時間以上待った。東京や神奈川はとにかく行列ばかりで驚く。
私以外の家族は阪神が好き。この日は母と妹が東京ドームに行ってて、私は2人が映らないかテレビをずっと観ていた。最近は応援歌で誰がバッターボックスにいるのかわかるようになってきた。大進歩。

総括:暑いときは家が一番。

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