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【作品】わたらせ夜空鉄道

【わたらせ夜空鉄道】
サイズ:F50号
素材:足尾銅山の石

足尾銅山は明治時代、国内一の産出量を誇る銅山でした。
しかし、その一方で、日本の公害問題の鉱毒事件でも知られています。

◼︎歴史おさらい
銅の採掘は1610年からと言われていますが
1500年代からと記録があります。(銅が取れるとわかれば領地がとられる可能性があったため隠されていました。)

江戸時代徳川幕府の頃は、
技術も少なく、山の浅いところばかりを掘られていました。

明治時代に入り、掘る技術や彫った時に出る水を取る技術等
効率が良くなり、どんどん奥に掘り進められました。

しかし、銅のためにたくさんの木が切られました。木は燃料や建物に使われました。
煙の害のせいで、木が生えなくなりました。
木が減り、洪水が起きやすくなりました。
銅を取り出す時に発生する化学物質が渡良瀬川に流れ込みました。
魚の大量死を招き、流域の農作物にも大きな被害を与えました。

公害として大きな問題と発展しました。

戦後になり、いよいよ良いものが取り出せなくなりました。
奥に行けば行くほどお金や危険度も上がります。
江戸時代に採掘の際捨てていた堆積場の石や水からも摂るようになりました。

第一次大戦ごろから銅は輸入になりました。

そして昭和48年、
採算が合わなくなったため足尾銅山は閉鎖しました。

◼︎功績たち
取れた銅は海外輸出されていました。
世界的にみても不足していた銅。
日本は世界を代表する銅の輸出国でした。

世界に輸出することで、銅は間接的に
国を豊かにしてきました。

さらに、採掘の技術や
水から採取するなどの公害対策の技術たちは
無償で世界に提供されました。会社の利益だけではなく、人々の豊かさのためにと活動されていたのです。
それらは今も改良されながら残っています。

身近にある排煙や廃棄物処理は
足尾銅山での試行錯誤のたわものなのです。

私たちには直接見えにくい想いと技術が、足尾の歴史にはたくさんあります。
少しだけ知れば、課題、問題。
たくさん知れば、感謝。

ものを作るうえで「廃材」や「起こりうる悪いこと」は仕方ないこと。
大事なのは付き合い方です。

素材、歴史、文化に対して
距離が遠ければ見えないもの、
近ければ見えるもの
当たり前ですが、たくさんあるのだと、旅をして思います。


◼︎100年後の未来

ここは間藤駅。
わたらせ渓谷鐵道の終着駅です。
200年前から続けられた植樹活動のおかげで
かつて草木が生育していなかった山が、現在は緑に溢れています。
ニホンカモシカもいるかもしれません。

間藤駅は、昔は精錬所のある足尾本山駅まで貨物専用の線路が伸びていました。
現在は新しい路線「わたらせ夜空鉄道」ができています。

先代への感謝を乗せたトロッコは未来へと走ります。



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