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母の生い立ち
とにかく母が嫌いだった私。そして長いことその原因は母自身の家庭環境にあると思っていた。甘やかされすぎたからこんな大人になってしまったんだろうって。そうじゃないことに気づいたのは私が結婚してから。
それは追々記すとして、先ずは母の生い立ちから。
東北の小さな田舎町で末っ子として誕生。母の母、つまり私の祖母は後妻として嫁ぎ3人の子供を産んだ。長男、長女、そして私の母。
母は最後まで「私は3人きょうだいの末っ子」と言い続けた。年の離れた異母兄たちにいじめられた記憶は全くなく、理由らしきものを挙げるとするなら「血が繋がってないから」だと。
差別意識が非常に強く、常に人を見下す傾向があった。わがままが何でも通ってしまう末っ子。その最たる例がある。
白米が入手困難だった昭和の前半。家族が麦飯を口にする中、母だけは光り輝く白米を食べていたのだと言う。「だって麦飯は美味しくないから」
家族が可哀想だなんて気持ちは微塵もない。いつだって「自分さえ良ければ」という考えの母。むしろ特別扱いされる自分に優越感を抱いていたと思われる。周囲が自分をどう思うかなどお構いなし。要求は必ず通ると信じている。あれも欲しい、これも欲しい、全部欲しい。欲しい物は絶対に手にいれる。一つ気になったらもうそのことで頭がいっぱいになって抑えが効かなくなる。それが母。
家族をメイドのように扱い、何だって思い通りにしてきた生活はさぞかし居心地が良かっただろう。そしていつしか母の意識は構築されていったのだ。「家族とは私の要望を叶える為に存在する人たちの集まり」だと。