無意識にオチを探している
話しにオチをつけないといけないような気がしている。
大阪出身のせいか、なんでもない話をそのままするだけだと、なんだか許されないような気がして。
オチというか、その話の文脈の中でのギャップというか。
そういう高低差みたいなのが無いと物足りないんじゃないかと感じてしまう。
例えば、
「そのワンピースかわいい~」
って言われたとする。
『ありがとう!とってもお気に入りなの!』
とかって返せばいいんだけど、なんかどうしても一言言っちゃうんだよね。
『ありがとう!これ気に入ってるねん!でもな、聞いて、これ、300円やってん!すごない?安ない??』
いやー、聞かれてないってわかってるけど。
別に値段の話をしているわけじゃなくって、純粋にワンピース褒められてるってわかってるけど。
でも、どーしても言っちゃう。
こんなにかわいいワンピースが、300円だったっていう、そのギャップ。
かわいいけど安いっていう、なんかその”○○だけど××”っていう、高低差というか。なんていったらいいの。意外性みたいなやつがさ。言いたくなる。
だって、「ありがとう!これお気に入りなの!」って返しちゃうと、そこで会話終了じゃないですか。でも、そこから「でもこれ300円やってん!」ってなったときに、相手にはハテナとかビックリとかが頭にいっぱい浮かぶじゃないですか。
(え!?300円?どゆこと?なんでそんなに安いん?どこで買ったん?お買い物上手?あなためっちゃお買い物上手なん??)
そしたらその後の会話って無限に続くじゃないですか。
会話、続いた方が楽しいじゃないですか。
って思うと、なんか会話の中でのギャップって必要な気がして。
そのまま終了させちゃいけないような気がして。
別にわたしそんなにお喋りなわけでもないし、めちゃめちゃコミュ力あるとか、そういうタイプでも全然ないのだけど。
そんなわたしですら喋りながらこんなことを無意識のうちに考えている時点で、大阪の血は譲れないのかもしれないなあ。
別に相手に同じことを求めてはいないのだけど、長い話を聞いていると(どこでオチがくるんやろう…)って考えてたりするし、それでオチなかったときのがっかり度がすごかったりする。(え?このあとどうやって会話広げたらいいん?終了?ここで終了ってことでOK?)って思ったりもする。
念のために言っておくけど、別に話のオチなんて求めてないし、期待もしてないんだけど。
もう一回言うけど、別に会話の相手にそんなの求めてないし、期待もしてないんだけどねほんとに。
でも、なんか、無意識のうちに。ほんと無意識のうちに、ね。
そうやって考えてしまっているからか、自分が喋るときは話にオチがいるような気がして。
だから、なんだかくだらない話をしている途中に(あ、この話オチひん…)って気づいてしまったときは、「あ、別にオチはないんやけど」とか言っちゃってて。ほんと、これもほとんど無意識なんだけど。
小さい頃からの習慣になってしまった考え方って、抜けないものなんだなあっていうのをとっても感じている上京3年目。
でもそんな考えだからか、良くない出来事とか、ヘマをしたこととか、その時は辛かったりしんどかったりしても、後から全部ネタになるなあって思ってやりすごせたりする。
今のこの経験、多分数年後にお酒の席での笑い話にできるなって思うと、乗り越えられそうな気がするもん。
「今はこんなんやけどな、実はあのときこんなアホなことやってな~」って、言える日がいつか来るって、思うもん。
「彼氏と8年も続くってすごいよね!仲良いよね!」
『いや~そうやねん!わたし彼氏のことめっちゃ好きやねん!でもな、過去に2回別れてるからな!』
みたいな。
過去にお別れした2回はめっちゃしんどかったし、立ち直れなくて周囲の方々に多大なるご迷惑をおかけしたのだけど。今となっては全部良い思い出だし、あれがあったから今があるって思えるし、何よりめっちゃみんな食いついてくれる話のネタになってる。
だから多分これからも、なにか辛いことがあったとしても、乗り越えられるような気がしてる。まだまだネタにできていないようなこともあるけれど、きっといつか昇華して笑いに変えられる日が来るって思ってるから。
そんなわけで、またこれからもがんばろう。
今日もお疲れ様でした。
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