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センスとは、努力してきた数のこと

センスがいいなぁって思う人がいる。

そんな誰かと自分を比較して、わたしはセンスが無いなあって思うことがある。


でも、ふと思った。センスって、なんだろう?


センス
1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる


国語辞典によると、こういう意味らしい。つまり、センスとは感覚らしい。

じゃあ、その感覚ってどうすれば身につくのだろう。

"感覚"って一言で言ってしまえばそれで終わりなのかもしれないけれど、生まれ持ったものではないなと思っている。むしろ、生まれてから今までで触れてきた物事に対して身につけられた心情というか、そういうものだと思う。

人って、より多くの時間とお金をかけたものを好きになる。好きだからこそ、多くの時間とお金をかけるのかもしれないけれど。まぁ、それは鶏が先か卵が先かみたいなものだから、あんまり言及はしないでほしい。
だから、幼い頃からずっとやっている〇〇に対しては、絶対的な自信がある!とか、これは出来る!みたいな状態になるんだと思う。だってそれにたくさんの時間を費やしているから。

センスって、そういうところから生まれてくるものだと思ってる。

絵のセンスがある人は、昔からたくさん絵を描いていた人。センスがあるから絵が上手いんじゃなくて、たくさん絵を描いてきたから、センスがあると言われるようになったって感じ。

料理のセンスがある人は、それだけたくさんキッチンに立ってきた人。

ファッションセンスがある人は、人一倍お洋服に向き合ってきた人。


それだけ、その物事に対して時間とお金を費やして、あらゆるパターンを人よりも多く知っているからこそ、他の人にすごいねって言われるようなものが出来上がるんだと思ってる。


つまり、センスって努力してきた量のことなんだと思う。


"好きなことだから努力って言わない"って思う人もいるかもしれないけれど、それって側から見れば立派な努力だと思う。



"わたしにはセンスがない"。そう思っていたけれど、それってその物事に対して、真剣に向き合っていなかっただけな気がする。片手間でやる作業に対してのセンスなんて、そりゃいつも片手間なんだから身につくわけがない。


だからこそ、センスを身につけたければ、それだけたくさんの努力を積めばいいんだなって。



そう思うからこそ、例えば絵が上手な人とか、素敵なデザインをする人とかに対して「センスあるね」って一言で終わらせてしまうのは、失礼な気がした。だって、彼ら彼女らは、それだけの努力を積んできているはずだから。その努力を"センスがいいね"の一言で片付けてしまうなんて、失礼すぎる。それに、"わたしにはセンスがないから"って、同じ努力も何もせずに口だけで諦めてしまうことも、なんだか違うと思うから。





"センスがいい人"になりたいのなら、どの分野で、何に対して、どんなことをしたいのかをまず明確にしなきゃいけない。そして、そこに対して今の自分がどれだけの時間を費やせるのか、どれだけ優先順位を上げることができるのかが大事になってくるんだと思う。


でも、よく考えてみたら、今の自分に無いもののセンスを身につけるよりも、すでに自分に備わっているセンスを自覚した方が早い気もする。

自分を見つめ直してみると、意外と実は秀でているところ、あるのかもしれない。周りから「あの人は〇〇のセンスあるよね」って、自分だって思われているのかもしれない。自分が周りを見て思っているようにね。



"わたしにはセンスがない"って卑下するんじゃなくって。努力すればいいんだし、自分なりのセンスを見つけられればいいんだって思う。



ポジティブにいこう。



今日もおつかれさまでした。




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あやめし
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