人間が生きることを肯定したい・34「時代を動かすもの」
『いつの世も、新しいものは船の漕ぎだす海原に似ているように思います。
(中略)
あの頃の私は、そんな予感を感じていたのでしょうか。
何か大きなうねりが将来自分を飲み込むことを知っていたのでしょうか。
確かに知っているひともいました―――
あの奇跡のような目をしたむすめや、その家族たちは』
恩田陸「蒲公英草紙―常野物語」より
時代が動く。
歴史が動く。
世の中が動く。
それは何によってなのだろう。
恩田陸の「蒲公英草紙」を読み終わったとき
私の胸に渦巻くのは「無念」という思いだった。
物語の舞台は東北の小さな村。
時代は二十世紀にさしかかろうとする明治末期。
物語の語り手である峰子は、少女時代、
大地主槙村家のお嬢様・聡子の話し相手としてお屋敷に通っていた。
お屋敷にまつわる人々と村を訪れた不思議な家族との出会い、
そして聡子様との触れ合いを綴ったのが「蒲公英草紙」と名づけた日記だった。
聡子様は病弱で学校にも行けないが、
聡明で誇り高く心優しい、特別な少女だった。
物語の中ではこんなふうに語られる。
『いまだかつてあんなにきらきらしい、
後光が差しているような方は見たことがありません。
(中略)
聡子様はとても華奢で小柄な少女なのに、
そこにいるだけで特別なのです。
極端な話、私には内側から光を放っていたようにすら思えます』
しかし、村を襲った台風から子どもたちを守り、
聡子様は雪崩のような濁流に飲み込まれて命を落とす。
聡子様は最期、濁流の向こうから峰子に言った。
『峰子さん、約束しましたね、一緒に村のために尽くすって。
峰子さんは、助けが来るまで子供たちを見ていてください。
お父様に伝えてください。
聡子は頑張りました。
聡子は槙村の娘だから、
この中では聡子が一番年上だったから、
最後まで子供たちのために頑張ったって』
聡子様は最期のとき、
水を打ったように静かな心でいた。
心臓をわずらい寝てばかりいた自分が
槙村の娘として務めを果たせる、
そのことに歓喜と感謝を感じていた。
『私はこれからも槙村の空や地となって
皆さんを見守っていきたいと思います。
ですから、どうか悲しまないでください。
聡子はいつもそばにいます』
私は思った。
このひとつの魂、
このひとつの行い、
このひとつの思い、
それだけで世界は救われるべきだったのだと。
聡子様が小さな体と心で守り抜いたもの。
それを無にしないためだけにでも、
この世界は救われるべきなのだ。
聡子様のために、是が非でも守るべきだった。
しかし、時代は戦争へと突入した。
聡子様が小さな命を捧げて守ったなつかしい村は、
すっかり寂れてしまった。
屋敷にまつわる人々も、
戦争で次々と命を落とした。
終戦直後、おばあさんになって、
夫も息子も亡くした峰子は
幼い頃の自分と聡子様の夢を見ながら焼け野原の夕焼けを歩く。
これから自分たちがこの国を作っていくことができるのか、
それだけの価値がある国なのかを問いながら。
悔しかった。
無念さがこみ上げてきて、涙になった。
聡子様の魂に応えられなかった。
空から戦争のありさまを見ていた聡子様は、
どんなに悲しんだだろう。
あらがいがたい「全体」というものが
個々の貴い魂を押し流していく。
そのことが悲しくて悲しくてたまらなかった。
濁流に飲み込まれた聡子様のように、
戦争に飲み込まれた多くの人々。
そこにはきっと、手のひらに乗るほどの小さな、
しかしキラキラと輝く魂がたくさんあったろう。
まるで聡子様のような。
戦争という道を選んだ「全体」は、知っていたのだろうか。
そこにかつて聡子様がいたことを。
地上には、たくさんの聡子様がいたことを。
気がついたときにはあらがえなくなっている、大きな力。
知らぬ間に巻き込まれている、大きな流れ。
それは何なのだ。
「全体」を動かしているものとは、一体何なのだ。
たくさんの小さな「個」をコントロールする、「権力」という名の強烈な力なのか。
それとも、個々の無意識の集合体という、目に見えぬ力のうねりなのか。
どちらにしても、望んだ者がいるばずだ。
望まぬものは、この世界には実現しない。
では望んでいるのか。
私も、今というこの状態を。
身近な例に引き寄せて考えてもみる。
企業に勤めていても感じることだ。
ひとりひとりの社員は自分なりに一生懸命なのに
企業体としてのアイデンティティが瓦解していく。
あらがいがたい大きな力に流されて。
言い換えればこんな状態だ。
社内の雰囲気が良くない。
社員のモチベーションが低下し、不信感が渦巻いている。
「ここが悪い」「あそこが悪い」という話がたくさん聞こえてくる。
ところが、その原因にアプローチしてみると、
実はそんなに「悪くない」ということがわかる。
どういうことか。
歯車の問題なのだ。
ひとつひとつを取り上げると全て正論だが、
お互いがかみあっていないために、
全体としては悪い方向に進んでる。
それが実態だ。
ハタと困ってしまった。
何か明確な原因があって悪くなっているのであれば、
その原因を取り除きさえすればよい。
しかし個々は誰も悪くないのに、
歯車がかみあっていないという状態は、
どのように対処すればよいのか。
ひとりひとりは悪くないのだと理解するほど、
私は無力感を感じる。
歯車がお互いを噛めず、
悪い方向に転がり落ちていく音が聞こえるようだ。
一人きりではあらがえない、大きな力。
戦争に突入した世界も、そうだったのだろうか。
殺し殺される状態を誰も望むはずはないのに、
なぜ開戦の方向に転がっていったのだろうか。
「私にはもう何もできない」
そうつぶやいてベッドでうずくまってみたりもする。
「全体」を動かしているものが何だったとしても、
その流れに負けてしまいそうになる。
しかし、心の奥底では納得していない。
では、私たちはなんなのだ。
ここで、ささやかな生活を守りながら、
良くもない頭を絞って、
毎日コツコツと生活している私たちは。
椋鳩十という児童文学作家がいた。
彼の遺稿詩は胸を打つ。
聡子様が守りたかったものと、彼が願ったものは同じであろう。
『精神的にも
肉体的にも
松風になりたい
日本の村々に
人たちが
小さい小さい喜びを
おっかけて生きている
ああ美しい
夕方の家々の
窓のあかりのようだ』
このささやかなるものを美しいと感じる心。
小さい喜びを守りたいと思う心。
答えはそこにあるような気がする。
宮澤賢治は、晩年、「宇宙意志」ということにたどり着いた。
若い頃の賢治は、
万人の幸福を願う気持ちと
妹トシへの個人的な情愛とに矛盾を感じ、
苦しんでいたという。
誰かひとりを強く愛することは、
「他の誰が不幸になったとしても、
この人だけには幸せでいてもらいたい」
という究極の利己主義につながるからだ。
しかし「宇宙意志」においては、
万人の幸福を願う心と、トシへの愛情は、同じものでありえた。
「青ぞらのはてのはて」という詩において
『わたくしは世界一切である』と賢治が言ったように、
ひとりの人間、ひとつの命には宇宙の全てが内包されている。
ひとりの人間を強く愛せば愛すほど、
その愛は万人につながっていく。
その愛は世界一切につながっていく。
それが「宇宙意志」だ。
目の前の相手を心底愛せない人間が、
万人の幸福を本当に願えるはずがない。
自分の村を守りたいという思いも、
世界が平和であってほしいという思いも、
会社を良くしたいという思いも、
目の前のささやかなるものを、
どれほど本気で愛せるのかということにかかっているような気がする。
そして、小さい小さい喜びをおっかけて生きているたくさんの魂が、
時代を動かすのだと信じたい。
うずくまらないで、しなければならないこと。
それは、自分の目の前の愛すべきものを必死で守ることだ。
それならもう、私は見つけている。
=====DEAR読者のみなさま=====
私には妹がいます。
幼い頃からとても賢くて頭の回転が速く、
体はスマートで、顔も大変可愛らしい。
ひょうきん者の機関銃トークで私を笑わせたかと思うと、
いたってクールに合理的に物事を判断します。
飼っている犬を溺愛しつつ育てています。
私の後からぴゅーっと産まれてきて、
ピアノもそろばんも勉強もなんでも私より器用にこなし、
あまつさえ文才も私よりあるようです。
そんな妹ですから、
さぞかし簡単に幸せをつかむのかと思いきや、
なぜかイバラの道を選ぶ子です。
妹に言わせると、
私は「パステルカラーの夢見る人」で
自分は「ニヒリズム、リアリスト」だそうなのですが、
私はそう思ったことはありません。
妹こそ理想主義のロマンティストで、妥協を許さず、
繊細で、ちょっと心配なくらい情が深いのです。
そして、この妹が最近くれたメールを読んで、
私は机につっぷして泣いてしまいました。
妹はよく私に手紙やメールをくれます。
前回のこのコラムに関するメールでした。
「ありがとう」という件名で。
『私、ここ数年で変わってきているのかもしれない。
纏っていたプライドや、棘を、どこかに置いてきたのかもしれない。
だとすると、間違いなくあーやのおかげ。
あーやが居てくれるから。
あーやが私に伝えようとしてきたことは、無駄ではなかったよ。
しゃんと、私の中に息づいているよ。
「私は書けるのか。
書くべきものを持っているのか。
私でなくては書けないものがあるのか。
この問いが私から離れたことはない。」
妹の私が出す答えは、この問いの「答え」になりえないけど、
あえてお願いさせて。
あーやは書ける。
あーやだけが内包しているものを、見せてほしい。
あーやだから書けるものに、私は救われる。
他の誰でもない。
あーやに書いて欲しい。
書いてくれないと、私が作られない。
今日で止まってしまう。
もっともっと変わりたいの。
もっともっと世界を感じたいの。
もっともっと笑いたいの。
前にあーや、言ったよね。
「私はあんたが笑ってさえいてくれれば、それでいい。」
って。
ならば、書くしかないよね。
書いてくれれば、私はもっともっと笑っていられる。
更にこう信じてる。
私のように、あーやが発するものに救われる人が、
他にいないはずがない。
きっと待ってる。
たとえ、まだ見えなくても、待ってる。
チェレを抱きしめながら眠る瞬間に、
この上ない幸せな気持ちに包まれると同時に、
胸がギュッとしてたんだ。
この幸せを失うことが恐くて。
でもね。
そんな懸念より、今ある大事なものを
力いっぱい、後悔のないように抱きしめることにしたよ。』
私が、自分よりもはるかに出来のいい妹に嫉妬せずにいられたのは、
妹が私に示してくれる深い愛情と理解のおかげかもしれません。
ちょうどこのメールをもらったとき、
自分は「役立たず」だという思いに捕らわれていて、
そこから抜け出せずに苦しんでいました。
けれども妹の気持ちは、光のように私を満たしました。
私の目の前の、小さな愛すべきもの。
そのひとつが、この妹であることは間違いがありません。
お父さん、お母さん、
この妹を私にくれてありがとう。
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※これは20代の頃に発信したメールマガジンですが、noteにて再発行させていただきたく、UPしています。
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