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河合隼雄を学ぶ・23「日本人の心を解く~夢・神話・物語の深層へ~③」

第三章「日本神話」で書かれていることは、「中空構造日本の深層」で書いた「古事記における神々の中空構造」の内容とほぼ同様であるが、本書では、「捨てられた神・ヒルコ」についてさらに詳しく考察しているので、その点はまとめておきたい。

ヒルコは、日本のパンテオンである高天原に受け入れられなかった唯一の神である。

イザナキとイザナミの婚姻の儀式の際、女神から先に言葉をかけたために、まっすぐに立てない不具の子どもが生まれた。それがヒルコである。ヒルコは葦の箱に乗せて流される。そして、古事記でも日本書紀でも、ヒルコは戻ってこない。どのような神にも開かれている日本のパンテオンが、この幼児の神を受け入れなかったのは注目に値すると、河合隼雄は述べている。

ヒルコという名前は、「蛭の子」を連想させるが、同時に「昼の子」ともとれる。「昼の子」だとすると、「オオヒルメ」=「偉大な昼の女神」=アマテラスと対極をなす神、ということになる。

太陽の女神(アマテラス)、月の神(ツクヨミ)、嵐の神(スサノオ)に加え、「太陽の男神(ヒルコ)」という興味深い四者構造となるのである。日本の神々のパンテオンは、この最後の要素を捨てて、中空均衡の構造の安定性を維持しなければならなかったのだろう、と河合隼雄は考察する。

男性の太陽神は、あまりにも強くて、片意地で、中空構造の均衡を崩しかねないからである。

最強の者として中心に立ち、いかなる種類の均衡をもはねつけるというのが、まさに男性の太陽の性質である。このような神は、日本のパンテオンにおいては、決して受け入れられない。だからヒルコは海へ流されなければならなかった。

ただし、これまで日本が拒んできた「強い男性」を受け入れることは、現代の日本人の責任である、と河合隼雄はいう。神話的な視点からいえば、日本の神々のパンテオンに、男性の太陽・ヒルコの場所をどのようにして見つけていくのかというジレンマを含んだ課題だという。ただし、ヒルコが中心となり、日本特有の中空構造を崩せといっているわけではない。日本人は自らのイマジネーションを用い、男性の太陽の居場所を模索せよ、というのである。

ここで河合隼雄は、「片子の運命」にも言及する。

「片子」という昔話は、半分の子、つまり、半分日本人で半分鬼の子の話である。片子は鬼ヶ島から逃れ、日本で親(両親とも日本人)と一緒に暮らし始めるけれども、皆に「鬼子」と呼ばれて、とても居づらくなる。結局は自殺をしてしまうが、自分の体を細かく切り刻んで串刺しにし、戸口に立てて魔除けとすれば、鬼が追いかけてきても追い返せる、と母親に言い残す。

この片子の本当の父親である鬼が、ヒルコの子孫ではないかと、河合隼雄は考察している。ヒルコの子孫は、ヒルコの強い男性性だけではなく、自分を受け入れなかった日本人に対する「恨み」も引き継いだ。そのために鬼となった。半分鬼である片子は、日本人と関係を持つことができなかった。

そして、日本人である両親は、片子の体を魔除けにしてまでも、鬼という「強い男性性」に侵略されることを、断固として拒否し、自分を守ろうとする。

河合隼雄は、私たち日本人は、いかに困難であろうとも、「片子」を日本で生かし続けなければならない、という。どのような変化かわからないけれども、日本人に必要な変化は、この「片子」を生かそうとする努力から生まれるだろうと、河合隼雄は示唆するのである。






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