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多分、失敗のパターンは一生変わらない#我ら失敗団
私と葵さんの、月に一度のお楽しみ「あんこはるかの寄せ書きRADIO」では、本放送の前に、お便りがわりに企画記事の募集がある。
今月は#我ら失敗団、あなたの失敗談を実話で、という募集。
毎日のように失敗はあるのだけど、記事に、文字にするには、恥ずかしすぎるか、聞いた人の表情が凍りつくようなシャレにならない話しかないのだ。困った、困った。
なので、比較的ましな、大昔の話。
今でもなのだけど、私はトイレに頻繁に行きたくなる。よく出かける場所なら、どのトイレがきれいで空いているかじゅうぶん把握してある。
私が幼稚園生だった頃。帰りの会の時間、お祈り中(カトリック系幼稚園だった)、おしっこに行きたくなってしまった。
だけど、当時の私は場面緘黙に近い子どもで、幼稚園では仲の良い数人のお友達にしか話をしない子だった。
手を上げて、「せんせい、トイレにいきたいです」なんてとてもとても、言えるわけはなく。
その場でおもらしした私は、幼稚園の名前入りのパンツを履いて帰宅した、という話。
当時から最近まで、必要なことを人に伝えられない私の消極的な態度に原因があると思っていた。
でも最近、気づいてしまった、その時の私の冷静な目配りと心の動き。
てきぱきと無事に、帰りの会を終わらせたい先生。おとなしい私と違って、そわそわ動きの多いクラスの中の、ほかのお友達に注意が集中している先生の目線。
ここで、私がトイレ、と言ったら、先生の手間が増えちゃう。
帰りの会が終わるまで、がまんがまん。
その結果、おもらしして、先生の仕事を結果的に増やしてしまっている。
おもらしした自分も、かわいそうだ。
今でもこのパターン、よくやってしまう。人の余裕のなさが見えてしまって、自分が我慢して、結果、よろしくない事態を招くというパターン。
だいぶね、私も成長して、さっさと、自分の欲求、「トイレに行きたいです!」というのは言えるようにはなってきたのだ。
ここまでくるのに幼稚園から、何十年かかったことか。
思考や判断のパターンは、意識して変えていかない限りは、なかなか変化しないものだ。
だから、失敗のパターン(あるいは、のびしろ)も、人それぞれあると、私は思っているけど、どうだろう?
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