見出し画像

ノルディックスキー

初めて生でノルディックスキーを観たのは、2001年12月。

取材でスノーボードのワールドカップを転戦中、移動の途中にあったスチームボードでノルディックスキーのワールドカップがあり、一緒に行動していたカメラマンと新聞記者の希望で立ち寄ったときでした。

荻原健司_2001スティムボード

そのときに出場していたのが、キング・オブ・スキーの威名を持つ荻原健司選手だったのです。正直なところ、取材対象だったフリースキー以外あまりスキーヤーのことはわからなかったのですが、荻原選手だけは知っていました。

翌年に冬季五輪をひかえ、選手達の緊張度も高く、同じウインタースポーツではあるけれど、ルールも知らないノルディックスキーについて、荻原選手に話を軽く聞けるような状況ではなかったというのが正直なところ。

荻原健司_2001スティムボード02

ただほとんど取材陣しかいないアメリカの地。

同行していたカメラマン(スキーとスノーボードを撮影)や新聞記者と一緒に観戦し、荻原選手とは挨拶だけ交わし、その場をあとにしたのです。

初めてジャンプの風を切る音を目の当たりにし、甘利の音の大きさに驚いたのもこの場所でした。

荻原選手は、その翌年に開催された2002年ソルトレイク五輪で引退。

4年後、バンクーバー五輪の時に食事の場で、ご一緒させて頂く機会がありました。

画像4

2017年2月、

アドベンチャーレースの撮影が増え、雪の世界から離れていた私が再び、雪の世界の撮影をすることになったのは、ノルディックスキーを撮影でした。

撮影の対象は渡部暁斗選手。

冬季五輪前の最後のワールドカップ。会場となった白馬村からの依頼でした。

画像4

事前にノルディックスキーのルールについて調べ、どこから撮るのが良いのかを考えてみたりしたのですが、結局のところ現場に行ってみないとわかりません。

すでに五輪を見据えたメディアが大勢集まっていて、大きなレンズを抱えたカメラマンがあちこちに。このシーズン、あちこちのワールドカップで撮影されてきた人たちばかり。数年前まで、ワールドカップを追っていた時はあまり感じなかったのですが、久しぶり少し緊張します。

とにかくいつものように自分らしい写真を撮るだけと気持ちを切り替え、撮影に挑むことに。

有り難いことに、会場を運営する白馬村の担当者から

「自由にとって良いぞ」

と言ってもらえたことで緊張をほぐしてもらえた気がします。

画像5

久しぶりの緊張と写真を撮ることに集中できた2日間。

渡部さんと白馬村の担当者に感謝。

渡部選手とも不思議な縁が…。

互いにご近所にお部屋を借りていることがわかり、その後、撮った写真をお渡しできる機会がありました。彼からも「あのときを思い出す良い機会になりました」とのメッセージ付きのメモが自宅のポストに入っていたのを思い出します。

画像6

私はこの翌年、白馬にいる間だけでも少し体を動かそうとクロスカントリーを始めました。

競技に出たいというわけではないのですが、

ほんの少し影響を受けた気がします。