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看護師の私が考える、死との向き合い方


医療現場で勤めていると、“生と死”についてよく考える。
みなさんは、死にどんなイメージをお持ちだろうか。
私は、「死は悲しくて切ないものだけど、前を向いて歩かせるもの」だと思う。

「死との向き合い方」は人それぞれ。でも、その死を受け入れられないと、ずっとその悲しみに溺れてしまう。

私にはずっと乗り越えられなかった死があった。それは母親の死だ。中学生の頃に病気で亡くなったのだが、それを受け入れるには相当な時間がかかった。悲しみはずっと消えることはなく、学生の頃はデパートで親子楽しそうに買い物をしている人たちを見るだけで、涙があふれたこともあった。朝は気持ち悪くて吐いてから学校に行くこともあった。娘にとって母親はかけがえのない存在で、今日あった出来事や友人とのエピソード、ちっぽけな悩みや自分の進路まで、毎日色んな話をしていた。そんな大切な存在がいなくなって、大きな穴がぽっかり開いてしまった。
高校生の頃は友達との何気ない会話や、部活動がその悲しみを忘れさせてくれた。

しかし、忘れるだけではその死を受け入れることにはならない。突然悲しみが襲うのだ。何もしていないのに、バスに乗っていると急に涙がこぼれたり、ご飯を食べている時に母を思い出したり、、

母の死を受け入れて、乗り越えられたのは看護実習の時。
患者さんと踏み込んだ関わりをするのが怖くて、それに先生が気づいてくれたのだ。
先生と話していると、私がなぜ怖がっていたのか、その原因が明らかになった。
患者さんはちょうど母くらいの年齢で、色んな話をしてくれた。
その光景が当時を思い出させた。

私は先生の前でわんわん泣いた。
先生は、「大事な人を亡くして泣かない人なんていないよ。私もたくさん泣いたもの。でも、そういう経験をさせてくれたことに感謝してる。人よりも早くこういう経験をするってあまりないもの。親よりも早く死ぬことだってある。だけどこうして母の生き様を見ることができて、ありがたいことだなって思ったの。」と話してくれた。
このことがきっかけで、私は胸につかえていた”何か”がふっと取れて、すっきりした。
死は私の中で、とても暗くて怖いものというイメージが強かったけれど、前を向いて歩かせる希望も持つのではないかと、思うことができた。

看護師になった今でも、死を目の当たりにするのはとても怖い。
そんな気持ちが分かってしまうのか、患者さんの方から話をしてくれることもあった。死と向き合っているのは患者さんの方なのに、私の方が弱気になってはいけない、そんな気持ちになった。そう思ってからは、患者さんと色んな話をするようにした。悲しい時は一緒に悲しんで、楽しい時は一緒に楽しもう。最期の時を関わらせてもらった感謝を込めて、話をしよう。

母の死は、「同じ時間は一生訪れない」ことを教えてくれた。毎日の当たり前は、当たり前のようで当たり前ではない。当たり前は感謝を忘れた時から始まる。

死と向き合うのが怖い人もたくさんいると思う。私も怖かった。
でも、無理に向き合おうとするのは、心が壊れてしまう。
向き合える瞬間は来る。そう思って、毎日感謝して過ごすことがはじめの一歩なんだと思う。



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