お後がよろしいようで
日本に生まれ育ち、ほぼ日本語だけを話して半世紀を過ぎたというのに、本来 の意味を知らずに勘違いしたまま使っているという言葉がままある。
大人になると学びの場も減るが、ネット社会では膨大な数の情報にアクセスす るようになり、たびたびハッとさせられる。今ままで間違いに気づいた友人たち が「ここは指摘せずに流しておこう」と気を遣ってくれたのだろうと思うと、恥 ずかしさが増幅する。
最近分かった言葉は「お後がよろしいようで」という落語で聞かれる締めの言 葉だ。落語に触れた始まりは思い起こせば子供時代、日曜のお茶の間のだんらん で見たテレビ番組「笑点」。三波伸介さんの軽妙で温かな司会で進行する大喜利 も楽しく、ちょっとした下ネタも子供心をくすぐったものだが、そこで披露され る落語の締めで、この言葉をたびたび聞いた。
その頃から長いこと私は「面白く話が収まりましたよ」、例えば本を読み終え た後に読後感に浸るように「後を楽しんで」と言っていると思っていたが、実は 「後から出てくる人の落語を楽しんで(後の準備ができました)」という意味で あった。
宴席などでちょいと面白い話をひとつ終えた後に悦に入り、このフレーズを 使っていた過去の自分の姿は落語界きっての間抜けの代名詞「与太郎」さなが ら。さてそろそろいい頃合いとなりました。それでは「お後がよろしいようで」
北海道新聞 朝の食卓 2021年7月26日掲載
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アヤコフスキー@札幌。ディレクター・デザイナー。Salon de Ayakovskyやってます。クロエとモワレの下僕。なるようになる。リトルプレス「北海道と京都とその界隈」で連載中
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