それはせんせい
街角で「先生!」と叫んだら、どれくらいの人が振り返るだろう。この世にはたくさんの先生がいる。
子供のころなら学校の教師や習い事の講師を「せんせい」と呼び始めるところからスタートするだろうが、大人になるにつれ、その数は増えていく。医師、弁護士など社会的地位の高い職業から音楽家、画家、作家など芸術家への呼称でもある。
漢字のまま解釈すると、「先に生まれた」となる。人生の先輩への尊敬の念が、特殊な技能や知識を持つ「特別な人」を指し示すようになり、先生という総称になっていったのだろうか? 欧米の言語にはこのような呼称はないように思う。
政治家のことも「先生」と呼ぶ。幼少期に伝記で読んだ歴史に名を残す政治家たちは、それはそれは高明で、まさにそう呼ばれるにふさわしい方々であった。昨今の国会中継を見ていると、野党の物言いは感情的で芝居がかっているように見え、言われた与党の側も、打たれ続けたサンドバッグのように何だか頼りない。
自然災害や新型コロナウイルスなど「正解のない議論」では、本質を横に置き、ただただ批判し合うことが目的かのようにも見受けられる。その不毛さは、漫画「天才バカボン」の登場人物「パパ」の迷ゼリフ「賛成の反対」「反対の賛成」を想起させるが、「これでいいのだ」と何事も受け止める寛容なパパの境地には、遠く及ばないように思える。
北海道新聞 朝の食卓 2021年4月5日掲載
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アヤコフスキー@札幌。ディレクター・デザイナー。Salon de Ayakovskyやってます。クロエとモワレの下僕。なるようになる。リトルプレス「北海道と京都とその界隈」で連載中
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