見出し画像

200マイルの世界 ーわたしが走る理由ー

これまで6本の200マイル超えのトレイルレースを走った。2018年に初めて挑戦し、2022年に3本、今年2023年は2本。
何度走っても(と言ってもまだ6本)慣れることはなく、毎回 人生の縮図のような体験をする 言葉では到底言い尽くすことのできない濃密な とても濃密な数日間になる。

赤い岩が美しかったユタ州。@MOAB 240
セクションごとに変化に富んでいてどこもかしこも印象深い。ここは序盤の火山地帯。@BIGFOOT 200


苦しい時間の方が長い。足の爪と皮膚の間には血と水が溜まって膨れ、足底や足指はマメだらけ、足の真皮層の細胞はゲル化(?)してぐにょぐにょになり 末端神経がビリビリ痛む。骨は着地の振動に次第に耐えられなくなっていき、レース終盤には 1歩足をつくたびに脳天を突き抜けるような稲妻が走るのだ。7〜8kgはあるパックを背負って走っていると、揺れないように改良されてきた最新のトレイルランパックであっても 鎖骨付近は圧迫痛でじんじん痛み、次第に内出血が起きて、後半には皮膚は剥け血が滲む。そして、そんな身体的な苦痛よりも遥かに苦しいのが、睡魔との闘いだ。200マイルを超えるウルトラロングレースでは わたしの場合は仮眠を取りながら進むが、1日平均で90km以上の山々を超えていく身体には 1日トータルで2〜3時間程度の仮眠でチャージしたエネルギーなんて 瞬間的に蒸発するように消失してしまうのだ。強烈な睡魔に気が狂いそうになり、感情をコントロールできなくなり、嗚咽に近い泣き声が漏れたり、それすらもできない無心状態になったり、そんなクレイジーな状態を繰り返しながら、永遠に来ないような 途方も無く遠い遠いゴールラインをただひたすらに目指す。何があっても 何が起きても 歩みを止めたことはない。(2018年のBIGFOOTでは腎臓が機能しなくなり、290kmあたりのエイドで わたしの状態を見たドクターからドクターストップを受ける。が、“たとえ死んでも訴えません“とサインしてレース続行。全く褒められたことじゃない。これ、ほんと良くない!)

砂地と草むらは寝床。寒くない昼間は寝どき。@TAHOE 200


なぜ走るのか?自分でも不思議。自分がいちばん不思議。走るのが好き?そうでもない。レースが好き?そうでもない。でも いつの間にか、わたしの人生には 歯を磨くように、山を走る時間が当たり前のように 生きることに組み込まれるようになった。運動が苦手で ノロマでとろくて 虫嫌いでインドア派だった自分がなんでだ。なんでなんだ。

でも、今年走ったBIGFOOTでの1コマ、いつも応援してくれている山岳カメラマンが撮ってくれた自分の写真を見て、なんだか分かった気がする。自分って山の中でこんな顔をするんだなと。全くカッコ良くない、当然可愛くもない、なんだかダサい、そんな写真だけど。
約300km地点にある最後のsteepな斜面を登り切ったピークでのショット。日没前ギリギリの夕焼け時間に間に合って 本当に本当に美しい景色を見ることができ、その景色に感動したのか、現実的にフィニッシュが見えてきて(あと37km)安堵したのか。カメラを向けられていることにすら気が付いていない極限状態の中でのこの顔、これが答えだと思うんです、わたしが走る理由の。


もう1ミリも動けないけど、真夜中にも関わらず ゴールで出迎えてくれたスタッフさんたちの顔を見たら思わず笑顔に。人ってあたたかい


photo by Sho Fujimaki, Destination Trail, Sara, Yaz S.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?