整頓と反復が大事なんだ
「整頓と反復が大事なんだ」
大好きNetflixのドキュメンタリーシリーズ、『ザ・シェフ・ショー ~だから料理は楽しい!~』で、こんな言葉が出たのを私は聞き逃さなかった。
ちなみにこの番組は、ジョン・ファブロー(映画『アイアンマン』の監督でトニー・スタークの運転手、ハッピー・ホーガン役のあの方)がホスト、プロの料理人ロイ・チョイが監修役となって、毎回豪華なゲストと共に「料理を作って食す」という内容。
ジョン・ファヴローとロイ・チョイの関係は、映画『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』を観ればよく分かる。
というかロックダウン中、3食のご飯づくりに疲れてこの映画を観たんだったけな。
そして、冒頭のドキュメンタリーに流れていったんだ。
とてもよく作り込まれてて、大好きな映画!
冒頭のシーンが、すごく良いの。
映画の主人公・カールが、シェフという仕事に、いかに誇りを持って料理に向き合っているかが、ひしひしと伝わってくるんだなぁ。しかしこの彼、真夜中にポップコーン(たしか)もりもり貪って、ギトギトの手をシャツの裾で拭いてそのまま寝ちゃうような部分もあるんだけど(笑)
テンポが良くて、笑えて、ホロッともさせてくれる。ぜひどうぞ。
この映画でジョン・ファブローは、監督・脚本・製作・主演ってマルチも極まれり、な活躍をしているのだが、モデルとなったのがロイ・チョイ。
ロイはアメリカでのフードトラック文化を現代に蘇らせた人物としても知られる有名なシェフで、この映画の料理監修を務めたのだ。
(映画の最後に、ロイがジョンにサンドイッチ…劇中すごく、重要な役割を果たす&恐ろしく旨そうで恐ろしくハイカロリーであろう、サンドイッチ…の作り方を教えるビハインドカットが入ってるよ)
前置きが長くなった。
「整頓と反復が大事なんだ」
というこのフレーズは、ジョンとロイが街に出て厨房に入り、シェフたちと会話をする中でポロッとこぼれてきたような、本当にさりげない言葉なんだけど、私はいたく感銘を受けたのだった。
「料理は何度も同じことを繰り返す。だから、整頓と反復が大事なんだ」
とあるシェフがそれを口にしたとき、周りのシェフはこぞって頷いていた。
ロイ・チョイも「我々料理人はよく神経質だと言われるけど、それはこういう理由だからなんだ」と、言い添えていた。
分かるような気がするなぁ。
トップシェフの現場は、全くもって知らないんだけど。
2019年の私は家の中を変えようともがいていた
2019年といえば、長男が小学校2年生になろうという頃で、次男が2歳になろうという頃。つまり小学校の学用品や、赤ちゃんのお世話グッズが増えてきて、これどこにしまおう、が限界を迎えようとしていた。
かといって、どこから手をつけたらいいもんか。
最初はインスタグラムでいいね!みたいな素敵インテリアに憧れていたんだけど、幾つか「インテリア相談会」に行ってみて、家の間取りを見せながら専門家と話すうちに、生活動線に沿ったレイアウトであることが何より重要なんだと気づいた。
だから冒頭の何気ない言葉に反応したのだ。
以来ずっと、私は生活動線に腐心している。
つい最近も、洗濯機周りにとことん手を入れたところだ。
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生活動線が大事だと気づいたところで、立ちはだかる壁が2つある。
1つはお金(資金)の壁、もう1つは家族(の理解)の壁である。
私は両方乗り越えたくて、資料を作り、家族にプレゼンまでしたんだけど。
家族プレゼンの中身をチラ見せ
(中略)
(中略)
結論。
ザックリまとめると、「分かった、いいね、好きにしたら」という返事で、つまり、家計から予算は下りなかった。正直、すごく悔しい。
これ、外での仕事で企画を通すことにも通じるものがあるように思う。
どうしたら、価値のあるものだと思ってもらえたんだろうか。
敗因はうすうす分かっているような…
まず、プレゼン最大の目標を、「家事を自分事として捉える」というゴールに家族の意識をねじ込むことだと設定できていなかった。家事を、整頓と反復の上に置いていない人には、ピンと来ない内容だっただろう。
私にとって家事はワンオペ(工程をスタートとゴールのある線分のように捉えるイメージ)じゃない、卵が先かニワトリが先か、ぐらいぐるぐる回ってるものなんだよ。
そして、家事とは大半がマイナスをゼロに戻す作業の繰り返し。
もしかしたら、まだ家族にとって、ゼロはゼロでしかないのかもしれない。明確なプラス面が見えていたら、もっと良かったのかも知れない。
でも。
でも…!
家庭が節約はできても明確な利益を産まないからって(正確には、家庭はめちゃくちゃ無形資産を生み出す場所だと思う)、お金を使ってもらえないって話も無いだろう。
生活動線って、投資に値するものだと思うんだけど。
そもそも家庭は、どういう場所だと思われているんだろう
何となくなんだけど、家庭って、家事って、全世界共通でこう思われてんのかな、という映画があるのでご紹介したい。
再び大好きNetflixで観た、「マダム・イン・ニューヨーク」!
主演の女優さんがめちゃめちゃ美人なんだけど、途中からどうしても日本の斉藤由貴に見えてしかたがなかった…というのはさておき。
私はこの映画に、とても感動した。
見終わった感想が、とっても爽やかなんである。
元気ももらえる。ぜひぜひ。
とはいえ、物語の序盤はなかなか辛い描写が続く。家族が妻であり、母親である主人公をとかくバカにするのだ。
家を守り、整えるって、仕事なのに。
娘は母親が英語を喋れないのを日常的に嘲っているし(発音がおかしいと『聞いた?○○だって!』とすぐはやし立てる)、学校では恥ずかしいことしないでよ、と釘をさす。
夫は子どもたちに向かって妻のしていることを『つまらない仕事だよ』と高慢ちきに切り捨てる。
うん…任せっきりにして、蔑むのはおかしくない?
家事って、まず前提を疑わなくてはいけない。
家事と女性が分離不可であるかのように思われていて、しかも家事が出来て当たり前だと思われていると、出来ない時に女性は「ごめんね」と言うしかないし、助けてほしい時に「お願い」するしかない状況。
これは、何ともおかしいと思うんだよな。最近。
そう思っていたら、どんぴしゃの本と巡り合えた…運命。
ツルリンゴスター『君の心に火がついて』
だから家庭って、ケア役を担う人への「甘え」が、「相手を舐めること」にいつでも変わる可能性が高い場所なのかもしれない。
そんなことも思う。
イ・ミンギョンさんの『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』から引用する。
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自分の居場所は自分でつくるよ
乱暴だけど、まとめ。
未だにモヤモヤしながらも、時間をかけて(お金もかけて)生活動線のために家の中を変えてきて、発見したことがある。
それは先日の洗濯機周りしかり、自分でちゃんと考えて手を入れたエリアは、汚れたら綺麗にしたいと思うし、愛着を持っているということだ。
かつて何度も、学習机に雪崩を起こしていた、この私が。
これは大きな発見だと思う。
そして、そう大事にしたいと思える場所は、自分の心の居場所なのだとしたら。少しずつ、その領域を広げていけたら、私はもっと元気に生きていけるような気がしている。
ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!