刮目せよ。自分を追い詰めているものは、何だ
今、ジブリでは『常識の範囲でご自由に』と、場面写真の提供がされているのね。Twitterでは#ジブリで学ぶ主婦業 というハッシュタグで、主婦業にまつわる悲喜こもごもがこれでもか、と投稿されていて笑顔になっちゃう。
うんうん、そうだよね、と頷いて元気をもらう。Twitterしかり、Instagramしかり、主婦業とSNSって親和性が高いのかしら。
さて、表題の件について。
刮目(かつもく)…目をこすってよく見る、つよい関心を持って見ること。今日は、私が9歳と3歳の男児ふたりを抱えて回す、平日夕方の慌ただしさの中で、陥っていたことについて書く。
その晩、私は荒れていた
先日投稿したこれ。
この秋軽井沢に旅したら、その体験から今後の人生に対する決意が生まれたという内容である。その軽井沢行きを決意する前の晩、私は大いに荒れていた(だからこそ、夫も息子たちも何も言わずに私を送り出したとも言える)
息子たちの目の前で、家事する一挙一動にバタン!ガチャガチャ!と大きな物音を立てる。息子たちに向かって吠える、吠える。荒れに荒れて、しまいには突っ張りネジで留めてある、キッチンガードを思い切り、蹴り「飛ばした」ほどだ。ブチ切れた経緯は省く。子育てのミッションと照らし合わせた内省も、ここには書かない。
私が今、目をそらさずにおきたいのは、何が、私を追い詰めているのかだ。
刮目せよ。自分を追い詰めているものは、何だ
結論から言おう。
健やかな成長と、免疫のための、規則正しく健康的な生活というやつだ。そんなの物理的に私ひとりでは無理(夕方〜夜ご飯までは)!というやつと、私をサンドイッチする。
サンドイッチの状態が、辛い。
一応、歯ぁ食いしばってやってきてるから。
ほっともっと利用すればいいじゃん、という意見は受け付けないぞ。
手抜きすれば、楽をしろというのはな、『きみの代わりにやるよ』案の前では『もっと頑張れよ』と同義なんだぞ。買いに−行くのは−誰なの?
あ、でもナリくんのこれは好き。
https://ameblo.jp/nalipsychology/entry-12543508271.html
常に時間に追われ、なんとか間に合わせようと用意してるのにさ。
食事だ風呂ださぁ布団に入れ、と言うても聞かないわけよ。私は、何のために、歯ぁ食いしばって頑張っているんだったかな…そうそう、
健やかな成長と、免疫のための、規則正しく健康的な生活
これな。
でもな。
それは、朝家族を送り出した後の自分が、ヨレヨレである時点でもう健やかではない。夕方食事を食べさせ終えた後の自分が、『もう何にもしたくありません』とふてくされている時点でも然り。
どうしたら、夫婦2馬力で家事育児を回せるようになるだろう?って考えながら、私も日々のキャパオーバーや頻回な体調不良とで、夫のことを完全に切り離して丸投げする領域を作ってしまっている…
話を戻す。家族のためにと、しかし自分の頭にある(=家族と話し合って決めたのではない)「規則正しく健康的な生活」に自ら勝手に縛られて、勝手に時間に追われ、勝手にそのつじつまを、ほころびも自分の元で吸収しようとしているって、つくづく自分軸じゃないわけだ。
例えば食事のしたく。私は定食屋のような一汁三菜の献立が好きなのだが、それ以外の食事の組み立て方を、知らない。そして、9歳3歳の息子たち、それぞれにも「何しか食べて欲しい」とまた別に作っている。吹きこぼれる鍋、焼き過ぎで焦げついているフライパン、次々に洗い物がたまるシンク。そこにひっきりなしに投げかけられる、ママ、ママ、ママ…。手数は多くて労力も取られているのに、何もかもが中途半端になっている。
うーん。
考えたら、キモい。表面上「健やかな成長と、免疫のための、規則正しく健康的な生活」であっても、水面下でキッチンガードを蹴り飛ばしていては。
キモい、と一刀両断してしまったけど、ジャッジも良くないか。
今までよく頑張ってきたよ(よしよし)。でも、軌道を見直す時期かも。
私が本当に望んでいることは
私は。
私は、家で、安らいだ気持ちになりたい。
家族内での感情的な共感は、目下勉強中だけど、風通しの良さとか、肌触りの良いシーツとか、今自分が食べたいご飯とか、物理的なものは自分が動けば手に入るから、フットワーク軽くいたい。そのための家事であり、毎日だと思う。
私は、家で、安らいだ気持ちになりたい。
今度家族に話してみよう。
おまけ
刮目(かつもく)…目をこすってよく見る、つよい関心を持って見ること。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」…男の子は3日も会わないと驚くほど成長しているものなので、目をこすってよく見なさいという慣用句。
期待しているぞ、男子!
ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!