2020.3.19の手紙
2020.3.15 私は会ったことのない人に
手紙を書いた。
会ったことはないが、知っていた。
一方的に、名前も顔も芸も知っていた。
知っていた?どれくらい?
聞かれたら困るな。
よくは知らなかったよね。
私はきっとその人のほんの少しを見ていただけだ。
ただ、その人が書いている文章を楽しみにする
ようになって、なんだか近く感じていただけだ。
テレビの中で観ている人に、手紙を書くなんて
おかしいだろうな。もう、いい歳なのに。
それを、人はファンレターと呼ぶのかもしれない。
勝手に文章を読んで、勝手に隣のおじさんのように感じて、勝手に楽しくなったり嬉しくなったりしていた。
ある日、勝手に悲しくなった。
毎週は読めなくなるかもしれないお知らせだった。
よくないお知らせも、いつも通り軽やかだった。
重い話も、軽やかにまろやかに文章に落とし込むその人に、
私は今まで通りに楽しみに待っています。みたいなことを書いた。
少し元気になってほしいと思っていた。
ファンというのはおこがましいものだ。
どうか元気になってほしいと願っていた。
もらった元気はお返ししたいなんて欲張りが
ファンという図々しい生き物だ。
なんと、4日後。
お返事が来た。お手紙と書いたが、私はメールを
書いて、そのメールにお返事が来たのだ。
おだんごさま。ではじまり
小石 拝。で締められていた。
今まで通り、気楽に読んでくださいね。
僕の文章も言葉も裏も表もありません。
だから、そのまま楽しんでくださいね。
裏や表やたねも仕掛けも駆使する
マジシャンのその言葉になんだか笑ってしまって
涙が出た。
人柄や生き方がそのままぽんと言葉にのっていた。
昨日、亡くなられたニュースを目にした。
ああ。旅立たれたのか。
ほぼ日に遺されたエッセイを遡り、読んだ。
最後の方には、忸怩たる想いも感じられたが
ユーモアのタネはやっぱりスパイスとなり
小石さんの小石さんたる軸はぶれていなかった。
マジシャンというお仕事を生業とし、
ナポレオンズとして沢山の笑顔を手渡した
小石さん。
その文章もまた、軽やかで品がよく
人の心に風を吹かせるマジックのようでありました。
小石さんが、私の名前を呼んでくれたこと。
心に応えてくれたこと。
宝物だと思っています。
今日は、秋の空にありがとうの手紙を託し、
小石至誠さんのご冥福をお祈りします。
感謝と追悼のnoteです。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。