そこにあるもの
先日、宅配牛乳のモニター案内が来た。
時々やってくるそのお願いは、
うちは注文しません!といくら跳ね除けても
飲んでアンケートを書くだけで良いので。
と強行だ。
牛乳や健康にいいと言われる
アルファベットやカタカナが溢れたラベルが
ついた乳飲料とともに玄関に置いていかれる。
私が子供の頃、実家は牛乳配達と、駄菓子屋で生計を立てていた。
牛乳瓶を見ると、裏のお宅に私が三輪車の後ろに牛乳を乗せて配達していた姿が蘇る。
すごく褒められて得意になった。帰りにおやつをもらう。
あんな不安定な踏み台みたいな三輪車の後ろに
どんな風に牛乳瓶を積んでいたか?
覚えていない。
記憶はいつも、メモ用紙の端っこみたいに余韻だけが心を舞っている。
牛乳を飲み終えると、瓶の底にうっすら牛乳が残る。
シミのように丸く、縁に沿って白く残る液体は、
どんなに瓶を傾けても飲み干すことはできない。
それを見ていて、ああと思う。
これに似ているなあと。
不意に思い出すことがある。
忘れられない想いがある。
人は、傷つけたことと傷ついたことなら
どちらが染み付いているのだろう。
誰かを傷つけて、もう一生許してもらえないこと
ばかり、最近は不意に思い出す。
中学生の時、自分がいじめられた後にターゲットになった子を、逆らえないまま悪口を言い無視したこと。友達だったのに。彼女は部活を辞めた。
バイト先で先輩の失敗を、まだ新人の私がお客様に謝ったこと。先輩の仕事を見下していた。最低だった。
大事な人を失った人に年賀状をだしたことも。
喪失の意味も気持ちも察することなく、希望を押し付けるようなことをしたんだ。信じられない。
好きだと言ってくれる人の気持ちを、蔑ろにしたこともあった。人を傷つけることより、自分に酔うことを優先していたんだ。
後悔しているそれらは、もう、一生謝ることもやり直すこともできない。
傷つけた過去は、牛乳瓶の底と同じ、心の底に溜まり滲み、忘れた頃に傾いた心の隙間から一滴、また一滴と溢れだしては、じんわり広がり染みをつくる。
衣類に染みた牛乳が拭いてもぬぐいきれないように。
うっすらほんのかすかに匂いを放つように。
いつまでも、影となり余韻となり存在感を残すのだ。
よくそんないい人ヅラしてるな。あんなひどいこと沢山してさ。その影から聞こえるのは私の声だ。
傲慢で脆弱で独りよがりだ。
水道の水を勢いよく出して、瓶をゆすぐ。
飲み終わってすぐの牛乳瓶は、水を入れ左右に振れば、そこにたまった牛乳は攪拌されてなかったものになっていく。
きれいになった瓶を玄関先のカゴに入れながら
心に例えるたいていのものが、心よりもきれいだと気づく。
心よりも清く正しいとも思う。
水に流せない心を持っている。
無論、丸洗いもできない。
飲み干せないような後悔は、
できることなら気づいてすぐに、
水に流してくれないかと素直に頭を下げる自分で
ありたい。
宅配牛乳のアンケートには、そんなこと
書けないのでnoteに書いてみた次第です。
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