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それでも私は選ばれない
手紙が届いた。
いつかのりぼんで、ときめきトゥナイトの蘭世ちゃんのポーチが届いた日を思い出した。
390円分の切手を同封して、全員プレゼントに応募した。
今ならわかる。単純に購入しているのだ。
だがしかし、小学4年生の私にはプレゼントだった。
全員プレゼントは、ハズレのないりぼんの大盤振る舞いにしか感じず、感激した。
今回390円を払ってもいないのに、その手紙はやってきた。正真正銘全員プレゼントである。
この企画にコメントをした。私はこれまでめろさんのことは存じ上げていたが、近づくことはなかった。コンチャースと絵文字を多用するめろさんのテンションに、追いつけないからだ。
ノリというものがある。波長でも良い。
どうやっても乗りこなせなさそうな波。
それが私のめろさんである。
多彩で親しみやすく、自分の才能に決して溺れることなく、地に足のついた文章を書いている印象だ。
アイデアや妄想に独創性があり、人が通る道の脇に自分で突貫工事を始めて、道を造り、こっちからも行けますぜ。と黄色いヘルメットを被り、囁きそうな人である。
ここまで読めばお分かりかと思うが、私はめろさんをヤバい人だと思っている。
まじもんのやばい人。誉めてしかいない。嫉妬しかない。
めろさんがピリカグランプリの審査員をすると知って、実は安堵した。
ライバルが1人減ったと思った。烏滸がましいのは百も承知だが、ピリカグランプリに審査員を務めた人がみんなライバルのグランプリを想像してほしい。
ほら、熾烈でしょ。出るの躊躇うでしょ。
ピリカさんはうまい。この人に選ばれたいと思う人に依頼するのも、実際にならせてしまうのも。
めろさんに選ばれたい。そう思った人は数限りないし、私の身近でも、敬愛するすず太郎さんが明言していた。
グランプリが終わり、めろさんがこの企画を立ち上げた時に、ねぎらいや、めろさんの体調や生活に思いを寄せたコメントが並んでいた。
めろさんが人に優しく誠実であることを、みんなが知っている。
温かいnoteのご近所に恵まれていることを、コメント欄が表している。
私は、フォローもしていない、これまでの関係性もない中で、あえてものすごく失礼なコメントをした。
私はめろさんが、書きたいことを感じていた。
無理をして無茶をしてそれでも書きたいし届けたいことをどうにもこうにも感じてしまった。
そういう人なんじゃないかと、私はそう思ってしまったのだ。
その衝動を、ぜひ、私にもとおねだりした。
めろさんから届いた手紙の内容については、一切人に教えるつもりはない。
全てを読んだ私の感想は一言。
それでも私は選ばれない。だ。
これほどまでに誠実に向き合い、作品を愛してもらい、エールを受けてもなお、私の作品は選ばれなかったのだ。
選ばれた作品への敬意と賛辞を深めた。
これほどの苦悩と逡巡の果てに、自分の名前を冠したひと作品を選んだめろさんへの、憧憬と感謝もまたひとしおである。
私の作品は、めろさんに愛されて、大切に読み込んでいただいた。
それは全ての審査員の皆さんにもそうであったのだろうと、想像にかたくない。
本当に本当にありがとうございました。
人に愛される作品を書けた自分を、よかったねと誉めてやりたくなる手紙をいただきました。
きっとこれこそが、ピリカグランプリの真髄なのだと思います。
めろさん、ありがとう。
突貫工事のこの道は随分と遠くまで繋がっていそうだね。
コンチャース!ちょっと通らせてね。
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