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旅立つということ

私は老人ホームで働いています。
昨日、ご利用者であるAさんという90歳の男性が、急変と呼ばれる状態で亡くなりました。
老人ホームには、当たり前ですが、いつ亡くなるかわからない人が多く在籍していますが、私は20年以上この仕事をしていて、予見できずに死を迎えるケースはさほど多くはありません。

Aさんは、この日いつもと変わらずに、10時には大好きなコーヒーを飲み、11時には体操をして、12時の食事の途中で意識がない状態になりました。どうにかもう一度、意識を、声を取り戻したいと私達ができる全てを施しても、Aさんは、旅立たれてしまいました。

ホームに来て、日の浅いAさんは、大きな窓から外をみて、「今日は帰れるかな」「そろそろ
バサも心配してるから」と毎日帰宅願望を口にしていました。私達は、それをその都度はぐらかしたり、説得したり、なだめたりしていました。

Aさんが亡くなられたあとの顔を見て、本気で帰りたかったんだなと思いました。

別れは突然で、ご家族のお気持ちを想うと本当に、胸が苦しくなります。こんな風に、会えなくなることは、本当に悲しく残念なことです。

私達は、しばらくは後悔と反省ばかりを繰り返します。あの時こうしていたら、もっと早く気づけたのではないか、もっと上手く処置できてたら、助けることができたのではないか。数え上げればキリがないほどに、逡巡します。

でも、タイムマシンで戻っても、いつもしていること以上のことはできないとも思うのです。

 私は、急な別れの時にはいつもその人と過ごした時間の、楽しかった、嬉しかった、心があったかくなったやりとりを思い出します。
あのやりとりができて幸せだったと思い返すことで、まだそこにある命の余韻みたいなものに語りかけます。
そうすることで、別れの悲しみより、自分の中に生き続けるその人を感じることができます。

私は今日もオムツをかえて、ご飯を食べるお手伝いをして、トイレでズボンを上げたり下げたりして、お風呂に入れて、冗談を言いながら笑顔で働きます。
生きている人を支えるのが私の仕事だからです。

命の終わりは必ず訪れる。今、元気でもいつ別れるかわからない。だから、最期に思い出せるその人とのやりとりが、少しでも楽しく、心和ますものであるように。

Aさんは、昨日私に
「おい、俺はこの柵つかまれば起きれるようになったぞ。お前とこっちの手繋げばあっと言う間に起きられる。」と言いました。
だいぶ前からできていることをわざわざ自慢げに語りました。
「知ってましたよ!何でもできすぎるから、床に落ちても痛くないマットレス敷いてます。」と言うと、そうだか?と笑っていました。
 Aさんのご冥福を心よりお祈りします。
 そして、Aさんの命が私に教えてくれたことを糧に、これからの介護に生かしていきます。
 本当にありがとうございました。

お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。