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私のnoteの綴り方

私が本気でnoteに向き合い始めて、実はまだ2か月程度しか経過していないことに身震いしました。

9月や10月のnoteに頂いたスキは、ほぼ一桁の数字が並んでいます。

私は、自分のnoteを丁寧に育てようと考えています。

それはそのころから変わりません。

畑を耕し、種をまき、芽が出て、育ちゆくイメージでした。

ノウハウを学ぶことで急速に人脈を得るようなやり方を目にするたびに

もったいないなあと羨ましいなあの両方がありました。

全く芽が出ないと感じる時には特にそうした皆さんの投稿やタイトルを見るたびに、羨ましいなあに引きずられそうになりました。

あるとき、noteが動いたと感じる出来事がありました。

それは、はじめてのコメントを頂いた時です。

私のnoteが芽吹いたイメージでした。

私がスマホでポチポチ紡ぐ言葉の先にどこかのだれかが必ずいるんだと実感できました。そうしていただいたフォローはすごく尊く思えました。

その直後に書いた投稿が、急に沢山の人の目に触れる事態に遭遇しました。

それは、動かされたと感じました。天変地異みたいな力です。

嬉しいも感動も本当なのですが、それは恐怖でもありました。

まだ未熟な状態で、かいかぶられた印象のほうが強く残りました。

でも、あのラッキーがあって書くことに力も入りました。

今、私は何を書こうかな?と常に考えています。

日常の些細なことをよく見るようになりました。

書いているうちに気づくこともありました。

私はそう思っていたのか、と指が綴る言葉に教わることもありました。

そうして自分の毎日を大切にするようになり、
随分と気持ちが楽に自由になりました。

今、沢山の出会いを経験して、親愛なるnoterさんを思い浮かべて、投稿を書くことがあります。

あの人がなんていうかな?
あの人が喜ぶといいな。
あの人の力になりたいな。

顔も名前も知らないけれど、文章を知っている人がいます。

その文章の奥にある人柄に惚れています。

最近、自分の本当の友人達にも、よかったら遊びにきてねと伝えています。

なかなか会えなくて、でも元気でいて欲しくて、いつか会う時に笑顔で会いたい友人です。

妹や母や家族も同じです。妹の友達も遊びにきてくれます。

のぞいてそーっと帰っているよと連絡をくれる恥ずかしがりの友人もいます。

沢山の愛情に囲まれている幸せを実感できる場所が、noteです。

いつかたくさんの何かが収穫できる畑になる予定です。

お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。