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オムライスの薄焼きたまごは破れてもよい
自分の会社の経営理念と現場の乖離を諦めているくせに
人の会社の経営理念と実際のサービスが伴わない!と憤慨することはない。
ただがっかりはさせてくれ。がっかり。
だからといって、手放さないよ。この矛盾こそ生きる道。
好きなことを仕事にすることと、幸せに生きることはイコールではない。
幸せに生きることは、好きだけでは薄味である。
定期テストで、5教科なら400点以上はとりなさいよ!と子供達に檄を飛ばしていた私が、
職場の同僚の、子供のテストが30点だったんだけど。に、3割わかってるってことだし、伸び代しかない!なんて言ってるのは、本当に無責任も甚だしいがしかし。
自分の子供にそういうべきだった。人は距離が近いと大抵判断を見誤う。
1人の生きることが誰かの人生を侵食していることを目の当たりにすることがある。
確執の歪みがやがて家族のカタチを変えて、綻びが生まれていき、崩れていく。
そのことをわかりすぎるくらいわかっても、何もできないことがある。
昂る感情や、行き交う乱暴な言葉を目の前に、
自分の顔は今、どうしているのが正解だろう?
と思う。
生を全うするということは、尊厳という言葉だけでは片付けられない。
軋轢も葛藤も。
怒りも恨みも。
その上で、余命宣告に涙することも。
全てが丸ごと作りごとではなくて、また、置いてきぼりにされる。
生のゴールに、正直安堵もする。
そして、どうしたって寂寞も虚しさもある。
弁当にオムライスを作る。
焼肉のタレで作っておいた豚そぼろに刻んだ玉ねぎ、ピーマン、冷凍コーンを入れて、カレー粉に酒、めんつゆ少々。
ご飯と炒めて、四角い弁当箱に敷き詰める。
薄焼きたまごを作る。玉子焼き用のフライパンで作ると、弁当箱にぴたりとはまるのだ。
炒めたご飯の上に敷いた薄焼きたまごはわざと少し破く。
昔は、破けると悲しかった。上手くできなくて見栄えが悪いとテンションが下がった。
わざと破いたところをケチャップで覆う。
こうしたら同じだ。そして裂け目から沁みたケチャップがごはんと相まって、実はこっちの方が美味いんじゃないか?と思っている。
私は上手いものをつくりたいのではなく、なるべくなら美味いものをつくりたいのだから。
オムライスの薄焼きたまごは破れてもよい。
こうしなきゃ、ああしなきゃ。
こうあらなければ、ああしてほしい。
生きるってことは、とんでもなくままならないから。
だから、破れてたって構わないんだよ。
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