物語は誰の桃?
先日、久しぶりに創作を書きました。
白鉛筆さんの企画で、あなたの桃太郎を書いてほしい。というお題でした。
私が引っかかったのは、1日限定の募集であること、そして何より企画につけられたハッシュタグでした。
noteで書いていると、こと創作に関しては年々手出しをしてはならないような崇高なものへ、自分の中で縛りができてしまいました。
うまい人も賢い人も沢山いて、自分の作り出すものがちんちくりんに思えて、お恥ずかしい限り。みたいな気持ちになるのです。
だいたい学がないのに、頭よく見られたいみたいな見栄もあるし、だいたい学がないから、頭よくないのを隠したいのもあります。
創作を書くと、ボロが出るし、よく考えたらボロが真実ですが、そんなわけで楽しいだけの創作に、なんだか不純が紛れ込んでしまうようになりました。
ただ、私が私でいることは、たぶんその見栄っ張りで、ボロが真実で、薄っぺらい人間性ってことで、それならそれなりの物語を書けるなって思いました。
桃企画には、信じられないクオリティの作品が集まっていましたが、私は私の桃物語が書けて満足でした。
はじまりがおわり。
おわりがはじまり。
辻褄をあわせようとか、物語として完結させようとか、一切思わずに書きました。
帳尻を合わせないことで、読んでくれる人の物語になればよい。と思いました。
だから、ひよこ初心者さんのコメントで、それだけはわかりました。という一文に出会い、
ああ、私の思い至らないところにまで、桃は流れた。と思いました。
読んでくれた人の桃語りになれたことを、嬉しく思います。
意図も啓蒙も伏線もないです。
ただ、白鉛筆さんの拵えた大きな川に、私も桃を流せたことが嬉しいです。
楽しいなあ。物語を作るのは楽しいなあ。
そういう気持ちを私にプレゼントしてくれた、白鉛筆さんと、読んでくれた皆さんに感謝しています。
なんとなく、それを早く言っておきたくて。
ありがとうございました😊
物語はあなたの桃です。
おだんごより
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。