これは憧れ
洗練とは距離を置いたお付き合いをしています。
オサレが苦手なんです。
似たような感じでセンスもちょっと。
若い時、オシャレだねとかセンスあるねと言われたすぎる症候群に罹患した後遺症で、反対の方に振れすぎてます。
ちょうどいいという言葉を知らない、耳なし芳一おだんごです。
最初に目にしたのは、ピリカ文庫でした。
どうやら夫婦らしい。どうにもセンスがあるらしい。また、あれでしょ、うっかり出くわすと到底立ち直れなくさせる文章書いてんでしょ。遠回りしよ。目つぶっとこ。
そう思いました。ちなみに夫婦でnote書いてるとか、どういう了見?というのが個人の感想です。
2人とも書くって、私にとってはカオス。
そういう知り合いがいないわけじゃないけれど
空気中のnoteが密すぎて、息苦しくないかな?というのが、個人的な感想です。
それをめっちゃ軽快に深呼吸してるわけですよ。みてるにね、遠目で薄目で見ると、2人とも自然体で自分の文章を書いているんですよ、
奥さん。
信じられます?ため息つきました。自分が随分と凝り固まった人間だとわかると、人はため息で凝りを逃すしかないんですよ。
さらに驚くのは、互いの文章の1番のファンがお互いだということ。
ラブラブとかじゃないのよ。いちゃいちゃでもない。そういうやっかみ、シャラップ!!
ただ平熱のリスペクトがそこにはありました。
おいおい、たまらないな。
なんのはなしですか。ってコニシ木の子さんも言ってます。
椎名ピザさんと納豆ご飯さんの話です。
2人に関わらないようにしていたら、文フリ会場でご挨拶されました。
何、このヤングな感じのいい夫婦。と思ったら椎名ピザです、納豆ごはんです、と言いました。
嘘でしょ。やめてよ。と思いました。
余裕のある赤ワインの似合う高学歴なオシャレ中年夫婦であってほしかった。それなら、全然しれっと話合わせるだけでよかったのにな。(感じが悪いにも程がある)
2人とも可愛いんだもん。娘ちゃんはもっと可愛いんだもん。なんか感じが良くて、一瞬でああ、好きだな、ほっとけないよ。となりました。
好きになったら応援したくなってしまう。しまう性分なんですよ。
私は創作大賞熱中症で、ちょっと人の熱気に当てられて、自分の意欲が枯渇して脱水気味ですが、読みました。
私にとって、読むがすでに応援です。基本、読まないから。読めないから。
こちら。まずは元々エッセイが好きです。私個人は、気軽でハードルの低いエッセイこそが、栄養なので、ご飯ちゃん(大事な納豆の部分を割愛)のを読みました。
これは傑作だと思いました。しばらくしても思い出すだろうなと思いました。
エッセイ中に出てくる本が気になり、検索しました。
ごはんちゃんは、エッセイで人を動かせる文章が書ける人です。これは、私的にただものではないです。
次にピザさんの創作を読みました。
一見爽やかなつくりでありながら、主人公の若さゆえの傍若無人さに、私はいちいちいちゃもんをつけて読みました。
なぜなら、その嫌味なところや葛藤に心あたりしかないからです。
自分勝手な思考回路で思いやりに見せかけていても、自分を優先しているところに、もはや自分を見るようでざわつきました。
何も語らない、曝け出さない彼女に苛つきもしました。
そして、だからいいな。と思いました。全くもうと思わせる人を生かしているということです。
文章で、人を苛立たせるほどにレンタサイクルに繋がれた2人は生きていました。そこにいるみたいに。となりのあの子みたいに。
2人にだけわかる言葉があり、2人にしかわからない空気がある。
もっと彼女を大事にしなよ!とか
もっと自分の自由にしなよ!とか
私は余計なおせっかいを焼きたがってしまったけど
2人はきちんと2人の世界を少しずつ不器用に作り上げていたんだ。そんな風に思いました。
不器用だから愛しいし、遠回りだから懐かしい。
借り物の自転車しか乗らないって、執着がなくていいな。と思いました。
借り物の自転車に乗り続けるって、意思が強くていいな。と思いました。
ピザさんと納豆ごはんさんみたい。
夫婦であっても、互いを束縛したり所有したりはしない。
お互いがお互いの世界を尊重して、2人でいることを選んでいる。
いろんな価値観のある世界の中で、私はこのヤングな感じのいい夫婦のあり方は憧れです。
結局、人柄が好きな人の書いたものが好きって話です。
こんな話です。
#note
#だって尊敬してるって言われていい気になってしまった