PNMJ あしぶみ
柏手の習得は結果から言えば
失敗となるのだろう。
だいたい習得マニュアルはもちろんない。
決められた修行を積めば良いわけでもなく、
急に雷鳴に打たれ、未知なる力が授かるという
奇跡にも恵まれることなく、時間は過ぎた。
それでも、自分なりに毎日どうしたらよいのか
考えた。
店をきれいに掃除して、グラスを磨く。
お客さんの顔はきちんと正面から見た。
ジュースを作る時には集中した。
お客さんの顔色や声のトーン、表情や姿勢なんかも細かく捉えるように、心を寄せた。
今日はもう少し、緑の力が必要かな?とか、
今日は、近いより遠いがコンディションには
馴染むかもしれませんよ。と勧めたりもした。
柏手は、毎日のはじまりの一杯として
じいちゃんとにこちゃんに献上という名の
テイスティングをお願いしていた。
ちなみに、2人はこの役目が向いていなかった。
うまいなあ。ああ、今日もうまい。
初日からにこにこデレデレしていた。
なんで、りょうたの汁はこんなに美味いのか?
と褒めに褒める。
育てる気も、批評する気もない。
溺愛の弊害である。
孫が作るうまい一杯で1日が始まるなんて、いい人生だなあ。
そんな聞いている方が、頬を染めるようなことを
堂々と目の前で話す2人を見て、満更でもない自分と、焦燥に駆られる自分とが両立していた。
結局、俺の柏手が柏手なのかはさっぱりわからなかった。
常連のお客さんにも協力してもらった。
大輔さんは、りょうた、腕上げたな!と褒めた後、ただこれが柏手かと言われたら、俺にはわからないな。と正直に答えてくれた。
友達のヒカルにも、大学の帰りに寄ってもらい、
大事な試験の前に、飲んでもらった。
ヒカルは幼なじみで、俺のどんな時にも寄り添ってくれた。近くにいなくてもそばにいると感じさせてくれた、たったひとりの俺の理解者だった。
「あのさ、試験はよくできたよ。なんなら、最高得点だよ。ただ、お前の努力に負けてられないって思って、俺もさ、やりにやったんだ。
この結果が、柏手の力というのか、お前に感化された俺の努力かは、正直わからない。」
そう話した。
「だよな。でも、俺はなんか嬉しいな。」
ヒカルにそう伝えると、ヒカルは、俺も。と笑った。
正解がわからない。もともと、まじない。
毎日、毎日、足踏みをしていた。
前にも進めない。後戻りはできない。
同じことを繰り返し、繰り返す。
自分だけが、同じ場所で答えのない答えを探してもがいていた。
「りょうた、お前、いい汁作るようになったな」
ある日の朝、いつも通り俺の柏手を飲んだじいちゃんは、真っ直ぐにこちらを見てそう言った。
あのよ、柏手はな、結局は関係なんだ。
俺と相手のその関係からしか生まれねえんだ。
俺があなたを好きだ。
あなたも俺を好きだ。
俺はあなたを信じている。
あなたも俺を信じている。
そういう積み重ねてきた時間があってな
俺はお客さんより、少しだけ長く生きていることが多いだろ。
だからさ、大事な時にほんの少し手を引くんだ。
さあ、行け。
そんな気持ちでさ、祈りを込めてさ。
なんの変哲もないただただ美味い汁を
柏手なんてものにするのは、
1人じゃできないんだ。
向き合う大切な誰かとしか生み出せないんだよ。
お前は若い。だから、柏手は無理なんだよ。
手を引いてやる説得力は圧倒的に足りないんだ。
だけどな、りょうた。
お前にしかできない、お前だから作れる汁は
必ずあるんだよ。
お前、本当によく足踏みしたよ。
店の掃除を怠らなかった。挨拶の声も大きくなった。汁にも手を抜かなかった。よく見ていたな、
一人一人のお客さんを大事にしたな。
お前、もうさ、お前の周り考えろ。
みんなお前の味方で、お前のファンになってるよ。
じいちゃんは、深くゆっくり呼吸をした。
汁はお前にやるよ。ただし、店の名前は変えろ。
汁の名前は俺のもんだ。
あとな、柏手はやらない。あれは俺と客のもんだ。
お前の柏手は、お前がお前の客と作れ。
駆け出し、卒業。
一緒にいたにこちゃんは、頷きながら微笑んだ。
そして、俺の頭をくしゃくしゃ撫でた。
20歳になっていた。
つむぎさんとの約束が守れなかった。
店長になった。
つむぎさんに飲ませたい汁は完成していた。
その夜。じいちゃんがにこちゃんに叱られた。
りょうたに、あの店やるから。
これ、次の俺の店。
浮ついてるな、随分。人生卒業はどうした?!
と詰め寄られている。
毎日、りょうたの柏手飲んでたら元気出ちゃって。
おどけている。
にこちゃんは、確かに。私も元気がでて、いっちょやるかって気になっている。とまじめに答えている。
まじかよ。
ライバルが強敵すぎで、軽く眩暈がした。