レモンの男
「なんか、あのお客さん、毎回レモン買ってくんですよ。生のやつですよ。一人暮らしで傷まないかな。ポッカレモン知らないのかな?」
「あきちゃん、お客さんの詮索しないの」
「はあ?神崎さんだけには言われたくないですよー。カツ子さんにあんな入れ上げて、ごゆっくりレジまで作った神崎さんにだけは言われたくないっすね」
あきちゃんは、高校2年生でアレレマートでアルバイトを始めて1年になる。大家族の長女でしっかり者だ。自分の進学に備えて、ほぼ毎日シフトに入っている。看護学校に行き、家族を支えるのがあきちゃんの夢だ。
主任でやり手の神崎さんにあんなことを言えるのはあきちゃんだけだが、神崎さんは、ごもっともと笑っている。
繭子は休憩室で、あきちゃんの話していた男性を思い出していた。その人は確かにカゴの中身をみるに、一人暮らしを想起させた。
男性にしては…という物言いは、今の時代には差別的と言われかねないが、生鮮食品の目利きがよく、パスタは安売りにならない海外のメーカーのものや、少し変わった香辛料、そして必ずレモンを一つ、無農薬の日本産を買い求めていた。
安さが自慢のスーパーで、そうしたこだわりの強い、値段を気にしない客は目立つ。
あきちゃんが、なんだか癪に触るのもわからなくはない。あきちゃんは、食事に香り付けや味変を求めるのは富裕層の悪い癖です。が持論だ。
ポッカレモンが贅沢品のあきちゃんに、生のレモンなど、眉間に皺のよるシロモノである。
私の働くアレレマートは、最近ごゆっくりレジを開設した。主任の神崎さんの働きかけで、
お支払いに手間取る高齢の方や障害のある方に気兼ねなくご利用いただけるために、とにかくゆっくりした対応がウリのレジである。
これが、実は人気である。私達は今まで、いかに効率的に迅速にレジを回転させるかばかり考えていたし、それこそが全てと思っていた。
隣のレジの方が早いと判断して、列を離れるお客さんにがっかりしたこともあった。
しかし、ごゆっくりレジに並ぶのは想定していたお客様とは異なる客層もあった。店員とのささやかなコミュニケーションを求める人達だ。
レモンの男もその1人だった。繭子がごゆっくりレジを担当していた時に、カツ子さんと美優ちゃんの前にその男性がいた。
カツ子さんは、彼のカゴの中身を見て言ったのだ。
「お兄さん、好きな人にご飯作る人だね」と。
その人は、全く動じることがなく少し微笑みながら
「はい、好きな人にご飯を作ることをイメージしながら、自分に作る人です」と答えた。
カツ子さんも男性も目を合わせて、笑った。
「そうか。それは少し寂しいな。でもあれだ、
レモンをさぼらないあたり、私は好きだね」
「おばあちゃん、いい加減にしてよー。失礼ばかりすみません。本当に」
美優ちゃんが後ろからぺこぺこ頭を下げている。
「とんでもないです。レモンをさぼらないって言われたの初めてで、今、感動してます。褒められてますよね?」
カツ子さんは「もちろんだよ、ポッカレモンも冷凍レモンもあるのに、生を選ぶなんてさ、愚直でいいよ」と言った。
「カツ子さん、褒める時は褒めるだけにして」
繭子は思わず口を挟んだ。
「本当に!いつもはあんな忘れっぽいのに、皮肉と嫌味は天下一品なんだから!」と美優ちゃんも被せた。
レモンの男性は、愉快そうに声を出して笑った。
「僕は随分と洒落臭い男に見えてますよね?」
私達は互いに目を合わせて、自分達の発言の不容易に息を呑む。ただ、私達の不躾にも彼は全く揺るがず、なんなら機嫌を良くしていた。
「今、実は長期の出張でこちらに来ていて。会社の寮で暮らしてるんですが、同僚以外とは話すこともなくて、なんか人恋しくて、こんな会話も久しぶりで」
「なんだ、お兄さん、どうりで洒落てるわ。名前、なんていうの?私はねカツ子で、この子は美優、で、この人は五十嵐さん」
個人情報保護がない地域に住んでいることがバレる。
「あきらって言います。レジで自己紹介したの初めてです」
カツ子さんは、笑った。
「あきらくん、またごゆっくりレジであおうね!今度はレモンの使い道教えてよ」
「もちろんです、ではまた、カツ子さん、美優さん、五十嵐さん」
繭子は自分がレジ打ちなことをしばし忘れるほど、その身のこなしや言葉の柔らかさに、心がほぐれた。
レモンの使い道について訊くのは、私が担当の時にしてほしい。
繭子はそう思っていたので、あきちゃんにも、神崎さんにも秘密にしている。
☆☆☆
この作品はこちらの作品から派生して、私が勝手に創作した作品です。
アレレマートは私とバクゼンさんの街にあります。もちろん、私とバクゼンさんの創作の街ですけど。
あやしもさん、レモンの仲間に入れてね!