こちとらダビデ
本日は、おだんご論シリーズ。
テーマは、創作が読まれないカラクリについて。
です。これについてご興味のある方は、お目々と
心を立ち寄らせていただければ幸いです。
安心してください!たいしたことはいいませんよ。
まず、私がこれを書くに至ったnoteがこちら。
いつも冷静沈着、懇切丁寧、頭脳明晰な、
おたまさんのこの狼狽note!!!
大好きです。素直でお茶目!!!
たまらないです。ギャップ萌え。
ほっとけないよを熱唱。(楠瀬誠志郎さんの名曲)
で、おたまさんにささやきました。
創作はね、読まれないからくりがあるんだよ。
悪魔の囁きが如く、匂わせ女子の如く。
すると素直で可愛いおたまさんは、気になる!と
食いついてくれました。
これはもう、エンジンぶるりんこですね。
ではですね、ある日のおだんご家の様子をご覧いただきましょう。
夫:おだんごのPNMJは、好きが伸びないねー。
もう少しいってもいいのにね。
🍡:ああ。でも、気にしないでー。ビュー数は
いつもぐらいあるからー。まずね、人の創作なんて、軽く読めないから。
しかも、自分が創作してる時なんて、めちゃんこ無理だから。
夫:そうなの?なんで読めないの?
🍡:まず、自分が創作してるときに、自分がすごいと思う人のを見たら、落ち込むか、うっかり影響受けちゃうかすると絶対嫌だ。大好きな人のほど
読めない。そして、知らない人の創作を読む余裕はない。
夫: それは、おだんごだけじゃないの?
🍡: エッセイならいいのよ。それは日常で等身大で顔馴染みだから。好きもしやすいしね。
好きはね、イラストのようにパッとみて判断できるものや、つぶやきのように短時間で把握できるものには、つけやすい。
ただ、読み込みが必要だとまず後回しだわ。
創作がどれだけ大変かわかる人ほど、簡単に好きなんてつけらんないもんなのよ。
夫:へー。気持ちがおちょこだからじゃなくて?
🍡:あのね。創作してるときにはね、自分で自分を奮い立たせて書いてんのよ!
相当恥ずかしいことしてんのよ!!
こっちはね、自分最高!ぐらいに勘違いして盛り上げなきゃあんな恥ずかしいもん人に読んでくれなんて言えないんだよ!!
頭ん中ひけらかしてんだよ。作り事を披露してんのよ!めっちゃどうかしてる作業だよ!!
こちとらダビデなんだよ。服着て見に来てる人に裸、晒してるようなもんだよ!!
夫:(あまりの勢いに)そうか…そうなのか…。
人のいい作品を読めないともがき、嫉妬をして
いかがなものか?と思っていたけど…。
このように、表現することには発信側と受信側には温度差があります。
エッセイは普段着でこんにちはです。
普段着着てれば、見やすい。
自分の似たような普段着に声をかけやすいですしね。
創作は全裸でさあ見て!です。大抵の人には
そっぽを向かれ、スルーされ、指の隙間から覗かれるものです。破廉恥ですよ。
名前がある人の創作は、賛辞をうけます。
宮沢りえちゃんのサンタフェです。
名前がない人の創作が賛辞を受けるのは
非常に難しい。
なぜなら、大江戸温泉物語の大浴場の裸です。
裸になるとは、自分自身にとってはかなりの勇気ですが、人にとっては名も知らぬ人の裸に、いちいち、足を止めることは皆無。
友達はね、そりゃ、あら、ちょっと痩せた?とか、肌質いいわね。とか言ってくれますが、
それも、よーく見るなんてやっぱり恥ずかしいんですよね。
創作を披露するときは、ダビデ像ぐらい遠くをみて、胸を張るべきです。
発表して、近々の評価は気にしないに限ります。
視線は遠くに。視線を惑わせるとなんなら、
大事な場所に実はハッパがないことにしどろもどろです。
めっちゃ恥ずかしくなって、下書きに戻したら最後、二度と日の目を浴びなくなります。
一度裸になったら、後は無駄に堂々と。
思い出してください。
大浴場で、妙に貫禄のあるツヤツヤした
堂々としたおばちゃんには、一目おいてしまうでしょう?
美しくある必要はありません。
全てが整わなくとも。才などその人それぞれ。
創作に挑む全ての人に。
こちとらダビデ像ですけど、何か?の精神を。
脱いだ人が脱がない人に見てねというのは
中々に難しい話ですが、
作品に徐々に引き寄せられる人はいます。
自分が胸を張り遠くを見つめていれば、
見に来てくれる人はいるのではないかと思うのです。
だってここは、表現の好きな人があつまるnoteですからね。
おたまさん!胸を張っていこうぜ!!