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そのきらめきにうつるもの


その人は何も話さない。

その人は動かない。

呼吸をしている。

時々涙を流す。

どこを見ている?

何を考えている?

どんなことを感じている?

推し量る全ては八方塞がり。

膝が曲がり胸元まで上がっている。

体はどんどん硬くなる。

ゆっくり伸ばして、体と体のくっつくところを

伸ばす。枕を入れる。身体のくっつきが長引くと

圧迫されたところは褥瘡になるから。

肘も膝も曲がる関節はどうして曲がりたくなるの

かな。

伸ばしておくより、楽なんだろうな。

小さく小さく丸く硬く。

自分を守っているんだろうな。

身体をほぐしながら、知恵の輪をしている

気持ちになる。

知恵の輪をほぐして外したいのは私の気持ち。

知恵の輪でいたい人もいるよね。

私がほぐした身体は、秒で縮んでいく。

よかれとしていることが、本当に良きことか

そんなのは永遠にわからない。

いつでも、あの瞳に映る私を考える。

あの瞳を持つひとになってみる。


無闇に元気な声でやってきたな。

随分勢いがいいじゃないか。機嫌がいいな。

どした、今日は、そんなよそっちょばっかみて

私が返事しないからって、随分おざなりだな。

おいおい、声もかけずに動かすつもりか。

そこは、そんな伸ばしたら痛いんだって。

夜は暗いから、声も出さないのか。

暗闇に声が吸われたんだな。きっと。

えっ、泣いてんの?なんで。どした。

またあれか、隣のあのじいさんに殴られたか。

うんうん、泣いてけばいいよ。みんなには

黙っていてやるから。カーテン閉めてあるから。

シッコ漏れてたことにしていいよ。

ん?ティッシュ使え使え。いいって。

あとで2枚返されても困るから。


何も話さない。

自分では動かない。

呼吸をしている。

時々涙を流す。

そして、本当に本当に時々笑い、

ごく稀に声を上げる。

そういうお年寄りのベッドの脇で

私が教わった命の意味。

私の感情を吸いとってもらった過去。

生きることは、ただ生きることだ。

介護をする中で、言葉のコミュニケーションには

限界があり、私は体に触れることを大切にして

きた。

あたたかい。 つめたい。 

やわらかい。  かたい。

皮膚の弾力。 筋の緊張。 呼吸の変化。

生きていることは、そういうことだ。

私は介護の仕事をして、お金をもらい

ごはんを食べて、子供を育てている。

時々贅沢をして遊びに行き、人に会う。

私が今生きているのは、私に介護を任せて

くださったお年寄りとご家族のおかげだと

いつも思っている。

生きているということは、必ず誰かを

生かしている。誰かの生を支えている。

言葉のやりとりがいちばんではない。

体験や経験や芸術や感動が全てではない。

楽しいや嬉しいが優先されなくてもよい。

私が素晴らしいと感じる世界とはまた異なる

素晴らしい世界はあるということ。

その一見閉じているように見える世界から

発信されている光は必ずこちらにも

届くということ。

だから、それならばきっと。

私のこの気持ちも届いているかもしれないと

微かに芽生える希望。

あの瞳の奥のきらめき。

あの瞳のおくのきらめきに映る私が。

私から見て恥ずかしくないようにありたい。

ベッドの脇で笑うことも泣くことも。

愚痴をこぼすこともなくなった今の仕事でも。

それでもやっぱり。

あのベッドの脇で湧き上がった気持ちの

いろいろは、時々引き出しからだして

手触りを確認し、また大切にしまっている。

今回、バクゼンさんのこちらのnoteを

きっかけにこのnoteを書きました。

私が仕事上、重度の認知症を抱え寝たきりと

呼ばれる状態のお年寄りと向き合ってきた

中で、多くの葛藤や勘違いがありました。

幸せなのか? こうして生きていることに

意味はあるのか?など、随分と失礼な考えも

通過しました。

積み重ねる日々の中、私もまた生かされていると

気づき腑に落ちました。

誰かを支える仕事は、支えを必要としている人と

出会い成立しています。

バクゼンさんの葛藤と逞しさ、脆くはかない

迷いの中をそれでも傷つきながら進む生活に

突き動かされました。

理由より意味より。微笑みの価値。

バクゼンさんへの感謝と敬意を込めた

noteです。

#バクゼンさん
#いつもありがとう











お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。