誰かの特別になりたい
11月2日。秋ピリカグランプリの結果発表がありました。
私は、落選でした。「賞はいらない。私は、ピリカグランプリに愛と敬意で参加するの」と、かっこいいことを心友であるあやしもさんに言いましたが、「そうは言っても賞に選ばれたら嬉しい!」という想いがありました。
嘘つきです、おだんごです。
そもそも、グランプリと名のつくものに参加するのであれば、やはり選ばれたいという承認欲求をフル回転させるのが本筋。
スカしたツケです。「本当のことを隠しているから、このようなことだぞ、おだんごよ」と思っています。
ただですね、私はピリカグランプリでまさかの賞を実はいただきました。
えっ?おだんごさん、とうとうやばい?幻覚見えてる?とお思いのみなさん、心配ご無用。
公にはされていません。
公にすることは控えますが、「これは、私からの個人賞です」とメッセージとサポートをいただきました。
なんたるお心遣い。
思ってもみないことですし、光栄の極み。本当にありがとうございました。
先日、キングオブコントで、ニッポンの社長というコンビの辻さんが審査結果を受けて「審査員の好みがありますからね」と発言したことが、ネットで取り上げられていると目にしました。
私はこの発言を実際目にしましたが、審査員に対する文句でも不満でもなく、なんならその場のガス抜きのような気の利いた発言だと受け止めました。
自分たちがどんなに突き詰めて、計算して磨いたネタで、これ以上面白いのある?と作り上げたものに、点数をつけられることを痛いぐらいに理解して舞台に上がっている人たち。
笑いという指標のない、正解のないものに点数をつける人たち。
お互いにリスペクトがなければ成立しないからこそ、観ていても興味深いのだと感じます。
審査員に選ばれている人達の笑いに、リスペクトがあるからこそ、面白いと思ってもらえたら嬉しい。
それは、はまろうとしてはまるものではなくて、自分たちを極めた先にしかない。というのも人生だなあと思います。
審査員の好みはもちろんあるでしょう。
それがなくてどうする?とさえ思います。
それが評価の魅力にもつながっています。
ただ、それだけではない。それだけではない指針をきちんと持つ人にしか、審査に携わることはできないのだと感じています。
これは、キングオブコントの話でもあり、ピリカグランプリの話でもあります。
誰かの特別になりたい。
私の根底にあるどうしようもない強欲を、創作という形で表現した時に、呼応してくださる命があること。
それをピリカグランプリは教えてくれます。
エントリーした時点で、すでにたくさんの評価や承認があなたの元へスキの点滅で届けられたはずです。
ピリカさん、運営の皆さん、審査員の皆さん。
今回もたくさんの愛をありがとうございました。
書く、読む、感じる、反応する。自分の感覚
をこのグランプリに傾けたみなさんへの敬意と感謝を。
そして、私たちも審査員できるって。
全くサービス精神旺盛だな、ピリカさんは。
誰かの特別になりにいこうよ。