おだんご隠し味
本日は自分的新企画。
おだんご看板を掲げていきます。
500mlさん、ありがとうございます!
今まで書いたnoteの書いていた時に抱えていた
気持ちを綴るシリーズです。
文庫本のあとがきや、解説が好きな方に(自分)。
需要の有無?ノープロブレム!
書きたいことを書くのみ、おだんごです。
ずっと、女性であるということを意識して生きています。
らしさには、背を向けてきました。
らしさに背を向けつつ、囚われてもいました。
男性には男性の苦悩があります。
それは、私には推し量ることはできても実感はできません。
女性であること。
歳を重ねてきた中で生きづらいことも生きやすいこともありました。
選んだ道の先で、私たちは同じ性であるがゆえに
傷つけたり、足を引っ張り合うようなことも
ありました。
お互いの選んだ道が眩しく、それ故に距離ができることも、心当たりがあります。
恋愛、結婚、仕事、出世、出産、育児、介護、離別。
それぞれの経験値は様々で、似たような境遇、
価値観でのグループにいる時が一番楽ちんになる
錯覚。
実はその中でも、全く同じはありません。
思いやりの取り違えや、優しさの裏の顔に
疲弊する日日もありました。
学生の頃、目に見えないヒエラルキーはありました。
息苦しい閉塞感。
しかし、振り返ればあの頃。
私個人として生きていた、あの頃。
私たちは実は大して変わりはなかったのかもしれない。そんな風に思いました。
その渦中では決してそうは思えないけれど。
似通った輪の中にいることを
窮屈に感じていた私が書きました。
全く違うことに渇望していました。
全く違うことと真正面から向き合いたい。
ただ触れ合いたい。
ただ肯定したい。
ただただ。
同じ女性として同じ年に生まれ、
一時期を共に過ごした仲間。
あの自衛隊の飛行場が近くの
真新しい学校で、時を過ごした仲間と再び。
私として。ただの私として。
お母さんでも、〇〇のママでもなく。
奥さんでも、お嫁さんでもなく。
副主任でも、ケアマネでもなく。
私とあなた。シンプルなそこを求めていました。
これは、女性としての生き方やさまざまな選択が
お互いを遠ざけたとしても。
私として、それをもう一度ひっぱり返すような
気持ちで書きました。
全女性を肯定するような。
それもこれもありだよ。
300円のルールを守り、その中で必死にもがく
私達を。
ただただ互いに肩を叩いて、笑いあいたい。
その心から湧き上がる気持ちを認めたnoteです。