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誕生日を忘れない人
私の誕生日を絶対に忘れない人がいます。
元カレ?ノンノンノン。そんな思わせぶりな人はいません。
夫?まあ、確かに。隣にいますし、私のアピールもすごいし。
遠く離れてかれこれ27年間。
彼女だけが私の誕生日に必ずメッセージをくれました。
もちろん、思い出したよとかFacebookみたよと
連絡をくれる友達もいます。
しかし、彼女は出会って以降、毎年当日に必ずメッセージをくれたのです。
彼女は、高校の部活仲間でした。
私は女子ソフトボール部でマネージャーをして
いて、彼女はプレイヤーでした。
小柄で機敏でちょこまかと。
笑い方が本当にチャーミングで、彼女が笑うと
みんなが楽しくなりました。
先輩にもよくちょっかいを出されていて、
マスコットのような存在でした。
当時売り出し中の唐沢寿明さんに似ていました。
唐沢寿明さんを女の子にしたら彼女です。
このnoteでは唐沢と呼びます。
唐沢は、気遣いも優しさも平らで、一緒にいて
とても楽ちんでした。人のいいところを見つける
のが上手でした。
反面、厳しい鬼の練習の後、顧問の先生の文句を言いながら帰る帰り道は饒舌になり、悪口がノリに乗った私達は、電車の中でも盛り上がり最後は爆笑したりしていました。
私達のソフトボール部は、高い目標を掲げていましたが、私立の強豪校にはなかなか勝てず、県立としてはまずまずのところまで行っても
夢みた舞台には辿り着けませんでした。
それでも、高校3年間を全て捧げたといっても
過言のない時間を共にした仲間は、もう、友達
ではなく、特別な仲間です。
彼女とは、引退後に一緒に大学見学に行きました。
私はすでに専門学校への進学を決めていましたが、彼女が希望する大学を見に行った日に、
ああ。もう少し自分を諦めないでいればよかったなと、少しだけ思ったことを思い出します。
彼女はいつもコツコツと努力を続けて、
勉強をして、夢であった仕事につきました。
その仕事で彼女が感じたことを見聞きするたび
私にも学びがありました。
27年間、私が彼女の誕生日を祝えたことは
27回ではありません。忘れたことも沢山です。
それでも、彼女はそんなこと関係なしでした。
いつも、もらうばかりだったなあ。
いつも、沢山笑いあったなあ。
泥だらけで、真っ黒に日焼けして
でかい声を出して、ひたすらボールを追って
泣いたり笑いあった日々を。
彼女は誰よりも大切に、誰のことも大切にしていました。
きっと、私以外のメンバーの誕生日も覚えているのだと思います。
誕生日おめでとう。
今年も生きて元気でこうしていられて、おめでとうが届けられてよかった。
今ごろさ、同期のグループラインはおめでとうがあふれているよ。
たまには受け取る方もよいでしょう、唐沢。
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